2018年02月19日

暮らし−あと10年−

池には氷が張り築山にも灯籠の上にも雪が残っているこの頃、季節は立春を過ぎ、雨水、啓蟄、春分へと移り本当の春になるのですが…。土脉潤起(つちのしょううるおいおこる) 霞始靆(かすみはじめてたなびく) 草木萠動(そうもくめばえいずる) と24節気、72候には記録があるのですが、今の日本では、もう合わなくなっているのでしょうか。

ニュースでも度々取り上げられているように「大根1本350円」「白菜1玉380円」はこんな田舎町でも変わりません。近くの畑を見廻しても白菜も大根も1本もなく、全部正月前に出荷してしまった状態のままです。我が家の畑も雪の下に、大根もキャベツもチンゲン菜も双葉をつけたまま埋もれていて、糠味噌に入れる根菜1本なく春を迎えます。台所を預かる主婦にとって大困り。ただただ、暖かくなるのを待って畑を耕し肥料を入れて育つのを心待ちにしているこの頃です。それでも梅の蕾が大きくなり、あと2、3日でしょう。めじろが待っています、ひよどりが、やまがらも、みんな待ってます。こんなにも春が待ち遠しいことはありませんでした。

昨日植木屋から桜の剪定した枝を山ほど貰いました。小さな堅い蕾がもうほの赤く見え、咲く準備にかかっていたのでしょう。可哀想に思いましたが邪魔になった街路樹だったようで。これはよく色が出ます。今のシャツがもう終わりに近付いているので次の染めにかかります。そのままのピンクと、少し色を落とした薄橙と、玉ネギの黄と、それに藍を合わせた緑、どんな格子が組めるか、その前に桜の枝を裁断して煮出す大仕事が待っているにもかかわらずワクワクしています。先月には古くなった桜の葉からまさに枯葉色しか出ず、がっかりしていた所ですから…。雪が舞っても夕方には裏庭の竈で火を燃やしています。染色の草木灰を作ったり、畑の石灰の替わりを作ったり、果ては銅の薬缶でお湯を沸かしたり、すっかりここ10年来の私の仕事になってしまいました。空高く登っていく煙を眺めながら両親の事や長兄の事、それに先日急逝した弟の顔を思い出しています。5人兄弟姉妹が次兄を筆頭に私と妹だけになってしまいました。母は「ひよどり」になりましたけど、弟は何になったでしょう。

娘は今日も裏庭を掘っています。池の修理で、蓮も杜若も植え込み、めだかも入れ替え春の準備です。古木の椿を切ってしまい、その後に「すもも」を植えるようです。さくらんぼも植えられるのを待っています。そうして娘は私に「あと10年生きたら、おいしいすももとさくらんぼが食べられるからね」と言い、そのすももを使ったケーキを作るためオーブンを新しくしました。これでは絶対に10年生きなければならないでしょう。台所ではキンカンを煮ている甘い匂いが漂っています。今年は大鍋2杯も穫れ喉が痛くなっても大丈夫です。

故郷で最後をと思ってもこれだけ煙を出し庭を掘ることは出来ません。ここを終わりのすみかとして、個展が10回になる迄、染めて紡いで織る暮らしを続けましょう。今日は晴れています。椿の幹は固いのですがよく燃えて消し炭が穫れ、葉は上等の染料としての灰が穫れます。月桂樹の枝はよい香りを放ち、ニッケの葉は少し控えめな香りを出し、桜の枝は桜餅そのものの匂いがします。肉を大きなダッチオーブンで焼く時は案外「ふじばかま」の枯枝等も少し加えると近所中「又、バーベキューだ」と 評判になるのですが、お客様は鶏7羽、猫3匹だけです。都会にはないこのおもしろい暮らしは宝物かもしれません。便利さとは程遠い生活ですけど、良しとしてあと10年です。(と言っても毎年あと10年のせりふを言ってます)
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2018年01月18日

2018年のお正月に

明けましておめでとうございます。
もう春が来たのかと思う程の暖かさで、季節は小寒から大寒へと移り節分を迎えます。「芹乃栄」せりすなわちさかう 「水泉動」しみずあたたかをふくむ 「雉始鳴」きじはじめてなく 「款冬華」ふきのはなさく 「水沢腹堅」さわみずこおりつめる 「鶏始乳」にわとりはじめてとやにつく。
我が家の鶏、雄1羽、雌5羽みんな元気に新年を迎え、卵を産み時を告げています。除夜の鐘の音が今年は少ないかしらと思っていると突然近隣に響く高い大きな声でコケコッコーにはびっくり、おじいさん鶏も負けずにコケコッコーの新年でした。この鶏も卵を産み始めて1年余り、もうすぐ終わりになるので、食べ切れない卵をせっせと凍らし、試しに正月料理の伊達巻に使ってみたところ、エソのミンチと合わせても上出来に仕上がりました。どうやって卵を保存したらと思案していたのが解決しそうです。昆布巻も例年通りシシャモを中に入れて30本、炭火にかけて2日間、よい匂いが漂いました。小正月に因んでまた昆布を巻き火にかけています。冬の夜のよい一品になります。台所仕事は限りなくあり、順序立てて動かないと収穫したユズも、キンカンも縁側に転がる始末。その間に冬の寒さの中頑張った大根の芽もカブの葉もキャベツの双葉さえ間引く仕事が待っていて、寒い寒いと縮こまって座を温めている暇などなさそうです。娘は果樹の剪定のため梯子に上り、私はその枝を切り分け薪と染料に区別する、染料にする枝も青い時が良いか、枯らした方が良いか、月桂樹と肉桂では似ているようで異なり、ビワのピンクは異常に難しく、正月早々に昨年の桜の葉を煮立ててはみたものの、枯葉色の最たるもの、やはり花芽の覗く時季を逃したら桃色にはお目にかかれないようです。

今年も又染めて織って紡いでの1年になりそうで、それに個展の準備もありミシンから離れられず、もう身体中痛くなりそうです。1体のマネキンには以前仕立てた裂織のダッフルコートを展示しようと思い、帽子を作図にかかり、あっさりと、トーク帽にしようと試作品を2つ作り、娘に被せてみた所、キャップでもハットでもキャスケットでもない雰囲気が出て上々でした。この型で、絹の裂織を織って作ってみます。もう一つ「レトロブルトン」という柔らかい感じのが欲しいのですが上手に作図できますかどうか。娘は、「モデルがいて、いいでしょう」と言ってますが、まあ便利です。

年賀状の抽選も終わり、すっかり日常に戻りました。年女の人間の弁として、今年の望みとか抱負とか具体的に「どこそこへ行きたい」「〜を観たい」とありそうなものなのですが…ただ1日を黙々としてラジオ体操をして、お風呂に入って、朝御飯を作って…夜、新聞の天声人語を書き写して入浴して寝るだけ、変哲もない日常を過ごす1年になりそうです。たまあに「芥川賞か…」と羨望の眼差しで記事を読み、「まあどだい無理か」と思い83才の年女、綿を紡いでいます。
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2017年12月19日

年の暮れに

今年も余すところ僅かになりました。寒い日が続きます。冬至を前にして小寒、大寒と寒さは本番、乃東生(うるきしょうず) 麋角解(さわしかつのおる) 雪下出麦(ゆきわたりてむぎのびる)となり、畑も花壇も雪に埋もれて私は何枚も何枚も着物を重ねて機に向かっています。今年は秋に蒔いた大根もカブもチンゲン菜も育ちません。やっとエンドウ豆の芽が出たくらいで、食卓に青い物が載せられず四苦八苦です。お正月の青菜はどうしましょう。辛うじて伸びてきたニンジンの葉をせめてお雑煮の添え物にしましょうか。

今、新潟の友達から電話がありました。雪がたくさん積もっている様子、大根も白菜も高く家計を預かる主婦は大変で、これ以上税金迄上がってしまっては…と。私の所とは雪の降り方も大違い。やはりここは西日本で暖かくユズや夏ミカンがたわわに実をつけています。5本の柿の木を筆頭に冬ミカンにスイートスプリング、ハッサクに桑の実、ビワにザクロと様々な果物の木を植えてある上、娘はサルナシやネクタリンまで植える始末。この寒空の下、毎日鶴嘴を持って土を掘っています。そうして私に「おかあさん、あと10年生きられる? そうしたら、スモモを植えるから…。83才のお誕生日のお祝いに…」何と答えたらいいのでしょう。「生きたい。食べたい。果物大好きだから」と答えました。今年は石造りの庭のあちこちに花の種を蒔きました。春になったら築山の陰から顔を覗かせることでしょう。そうしてその花を写生して秋には新しい年のカレンダーを作ります。どうぞご期待ください。

毎日仕事場で機に向かったり綿を紡いだりしていると本当に厭になってしまい、気分転換にと、そこで真綿を入れた軽い胴着を作ろうと思って、古い絹地を裏表に使って、ドテラ綿でなく真綿を引いて入れ始めた所、その難しいこと。たった30p四方の真綿を平均に伸ばして重ねていく事は、もう大変で、母が仕立てていた所を見てなかったのかしらと反省したことつくづく。しかしよく考えてみると、ドテラ綿1枚より真綿1枚は高価で、そんな着物の中に仕立てられる程、裕福な家計ではなかった筈、私がお正月の晴れ着の下に寒さよけに真綿を担がせてもらい、その真綿を落としてしまった時の母のこわかった顔、5才位の事でしたが…。今ではごめんなさいも云えなかった事が悔やまれます。結局この冬の仕事は上張りを5枚仕立てて、また機に向かうことにしました。

どうやっても、どうあがいても、自分の寿命なんてわからないのでしょう。平均寿命が何歳ですと発表されても所詮は統計上の事。30代から病を抱えて40年近く生きてきた新潟の友人の悟りきった生き方に脱帽した年の暮れです。「どこも悪くないです」と御墨付きを貰っている83才ですけど、やっぱりこわくて「ここが痛い」「あそこが痛い」と言って薬に頼っているのは笑止千万だとか。自分を信じて自分の免疫力に自信を持って新年を迎えます。どうぞ、よいお年を。
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2017年11月20日

贅沢な望み

立冬も過ぎ季節は「小雪」になります。
虹蔵不見(にじかくいれてみえず) 朔風払葉(きたかぜこのはをはらう) 橘始黄(たちばなはじめてきばむ)そして「大雪」になり、閉塞成冬(そらさむくふゆとなる) と本格的に冬になるのですが今年はどうでしょう。街路樹のけやきも、銀杏も、庭の紅葉も散り始め、すっかり一足早い冬の庭になってしまいました。
畑ではカラーピーマンもトウガラシも赤く成り切れず青いまま籠一杯収穫し全部冷凍してしまいました。一年中使用する実った赤い実が少なかったので役立つことでしょう。母はこの季節になると七輪の上で「葉トウガラシ」の佃煮をよく作っていました。きっと赤く成り切らなかった物を葉ごと売っていたのでしょう。
冬野菜の芽は順調に育っていますが、一番楽しみにしていたサツマイモが駄目で結局小さいのが3つ。その代わり茎を摘んで食卓に飾りました。結構手はかかりましたが箸休めの一品になり戦後を思い出しつつ娘と話したのですが、その返事が「へェー、こんなおいしい物、食べてたの…」でした。もっともその頃はミリンも砂糖も醤油さえ満足にありませんでしたから。油で炒めるなんて夢でした。もうすぐ12月8日がやってきます。

私の仕事場、シャツも敷物も動き始めました。結局経糸12色に対して緯糸13色の格子に決まり1日15pずつ織っています。これからは紡いで織るの単純繰り返しです。敷物の方は友禅染の反物が多く、色が複雑に絡み合い、それを重ねて図案化していくのは至難の業で、眺めては止め、又布を裂いて縒っての連続で、これで来秋の個展まで12m織れるのか心配になってきました。
それでも時々おもしろくなくて、着物を縫い直しています。裁縫台の前に座って布を1oの狂いもなく重ね、印をつけていく。裁鋏でジョキジョキ切る。正座して針を進める。ここには紡ぐのや織るのとは異なった静寂があります。胃が痛いのも頭が痛いのも忘れます。ただ一向針を動かします。かかりつけ医が「何にもストレスなんかないんじゃないか」と言って脈をとります。考えてみるとそうなんですが、時間とやりたい事と、やらなければならない事に振り回されているのです。全部家中を整理して身籠もるなんて贅沢な望みなのだと自分自身に思いきかせなければ、あと残る10年余り安穏と暮らせないのでしょう。あっちの押し入れも、こっちの茶箱もまだまだ整理しきれてありません。まあ、布団綿と毛糸類がどうにかなった事を良しとしましょう。

来年の春の為に娘は花の球根と種を沢山用意しました。そして庭師が据えた石の際にも野草を植え込み、私の為に「くちなし」と「さるなし」も植えました。この「くちなし」が実を沢山つけて輝く黄色の綿が染まるのは何時になりますか…。「さるなし」の実はまだ食べた事ありませんし、色が出るのかも知りません。
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2017年10月19日

選挙の時に

冬のような寒さです。季節は霜降から立冬へと移り「霜始降」しもはじめてふる「霎時施」こさめときどきふる「楓蔦黄」もみじつたきばむ、になり畑仕事も来春の為の用意です。しかし我が家の畑にはまだまだ夏野菜が健在で、長ナスを収穫し、塩漬けにし、干して冷凍する仕事に追われ、甘トウガラシもカラーピーマンも当分畑を占領していることでしょう。

今月は染める仕事に追われ、終日竈の前で火を燃やし染料を煮出していました。昨年の春収穫した桜の葉は、よいピンクに染め上がったのですが、枯らして今年使ってみたら駄目でした。やはり花が咲き始めた頃の葉を青い状態で煮出すのとは違うのでしょう。匂いはまだ残っているのですが…。薄くベージュに染め上がった糸を濃い緑色の側に4本だけ添えてみました。たった5oに満たない本数です。
その他にも様々な植物を煮出し染めましたが、どの色も鮮やかにならず、くすんでいるのです。 水の所為でも火の所為でもありません。やはりこの気候が植物の葉の成長に影響しているのか…とも思いましたけど、近所の漢方医の言う通り、夏の暑さに少々参っていた私自身にあるのでしょう。
やっと新しいシャツの経糸720本をかけ終わり、色数12色、これから緯糸を紡いで、格子の図案を仕上げ織る仕事にかかります。

テレビも新聞も選挙一色です。しかしここには、宣伝車も演説もありません。なにしろ唯一総理のお膝元ですから。大学も高校もあるのですが、そんな事関係ないのでしょう。若い人達には現在より将来であり、人間100歳社会になっていく事を考え合わせると、一票の重さは大切だと老婆心ながら危惧の念を抱くのですが、どんな投票率になりますか。台風も近づいている事ですし。

私はただ一つ、戦争は厭です。どんな理由の戦争であっても嫌いです。勝った国も負けた国も、人々を不幸にします。どんな超近代的な兵器を使っても同じです。戦後70年を過ぎてもまだ戦後という言葉を使い存在している限り、人々の心の中からあの戦争は消えてないのです。
私がまだ中学生の頃、在日の子と友達になりました。その頃在日とは何だか知らなかったのです。母に止められました。教職についた時も北か南か不明ですが、よく勉強の出来る子がいて、作文で表彰された時、きれいな朝鮮服を着た人達が会場を埋めました。その子に貰った人形がまだ棚の上にあります。それから国に帰ったのでしょうか。
「あなたは戦争が好きですか」と候補者に尋ねたら何と答えるでしょう。きっと「好きじゃないけど、仕掛けられたら…」と答えるでしょう。「仕掛けられても、絶対にしない」と答えてくれる事を望みます。儚い夢でしょうか。今迄70年も守り続けてきたのです
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2017年09月23日

夏の終わりに

台風18号、ここ山口市は無事通り過ぎ重い板戸をガラガラ開けました。九州、四国の方々、どんなに大変だったでしょう。お見舞い申し上げます。季節は白露も過ぎ秋分の日になり、玄鳥去(つばめさる) 雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ) 蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ) と寒露に向かって進みますがどうでしょうか。
台風への備えの為、畑中棒を立て紐で結わき。網を被せ、さあこれで大丈夫と思って構えていたところ肩透かしで、長ナスもオクラもトウガラシも平気な顔して「こっちゃん、何してるの」と言っているようでした。昨年蒔いて1本も芽を出さなかったスズメウリも畑の中で顔を出して、ピーマンにもトマトにも絡みつき赤い実を揺らしながら一役買ってました。夕方雨戸の隙間から夕焼け空が見えた時は本当に嬉しくなりました。部屋の中で息を殺してじっとしてましたから。

やっと5月から染め始めたシャツが仕上がりました。何の変哲もない格子ですけど秋口に着るのに丁度いい色合いになったのはよいのですが、この度使用した綿が褞袍(どてら)2枚分で肌色に染めたところ、色が濃いのと薄いのが出来てしまいました。不思議に思ったので綿を抜いた表布を調べてみたら絹地と木綿地だったのです。絹地に入っていたのは白綿、木綿地に入っていたのは普段用の赤綿で当然染め上がりも違ったのです。母の時代の人達は褞袍ひとつの綿さえも経済的に考えていたのでしょう。
私と同じ年で九州に住む友達と布団綿の話をしていた時、友達の母上が結婚する時に、「白綿を入れて仕立てておくから、いらなくなったら綿を紡いで着物を織りなさい」と言われたそうです。ずっと長い間シャツを織ってきましたが、生の声を聞いたのは初めてでした。もっと尋ねて歩いたら地方にはそのような話が残っているのでしょう。私が知らなかっただけだったのかと反省しきりです。
私がシャツの経糸に使っていた京都の木綿糸専門の商店が閉店しました。30年来お世話になっていたので淋しい限りというより、これからどうしようかと思案中です。1回に使用する糸の量は大凡1kg、あと30kgは必要です。尤も私が元気で90歳まで織っていたらの話です。

暑い暑い夏も終わりです。さすがに夏中紡いでいたら、肩も頭も痛く最悪の状態になり、脳神経外科という所に飛び込みました。頭の中やら頸動脈をみたりしても診断はどこも不具合はないとのこと、「わかっちゃいるけど、やめられない」という事だとみんなに笑われました。少し涼しくなるので助かります。今日から新しい糸を洗って染めにかかります。
この夏の収穫はカボチャ12個、トーガン20個、長ナスブラブラ、丸ナスゴロゴロ、ついでに至る所に朝顔と夕顔と、ハイビスカスまで…野良猫も鶏も全員元気に夏を乗り越えました。娘と「生きていたら何でも出来る」と言いながら自分達の仕事に励み、猫の髭を引っ張っています。
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2017年08月19日

終戦の日に

何という天候でしょう。台風5号の際も雨一粒降らなくて、ただ空を眺めていましたけど、この2、3日の土砂降りには参りました。天変地異でさしずめ末世の有様というのでしょうか。人間はじっと雨が止むのを待ち、そして翌日には又雨雲を待ち家の中で耐えていますけど植物達の可哀想なこと。トマトの実は青いままひび割れ、キュウリは萎え、ナスは花が咲かず背丈だけ大きくなってしまいました。植木鉢を台車に乗せてあっちにやったりこっちにやったり、娘は大忙しです。

23日は処暑、綿柎開(わたのはなしべひらく) 天地始粛(てんちはじめてさむし) 禾乃登(こくものすなわちみのる) となり9月に白露を迎えます。こうして24節気、72候を辿ってはみますが、いかがでしょう。今頃になってヘチマや冬瓜も朝顔も大きく元気になっているのは不思議なことでさっぱりわかりません。

今年も終戦の日を迎えました。毎年この日にはTVも新聞も特別番組を備え、新しい事実を掘り起こし、いかに戦争とは悲惨で無意味な事かを伝え、改めて人々が不戦の誓いをたて、数少なくなった戦争を知っている人間が、若い人々にどうやって伝えていくかを著名人達は語り合います。その一方、何となく不気味な臭気がするのはどうしてでしょう。

私も10才で終戦を迎え72年経ちましたが、そんなに悲惨な事は覚えていないのです。集団疎開で裏山に栗拾いに行った事とか、少年団の旗を持って行進した事とか、硫黄で染まった温泉に毎日入った事とか…ずいぶん食糧難でコーリャンの赤い御飯を食べたのさえ、大変だった部類には頭の中では入ってないのです。10才とはそんなものです。それよりも終戦後、疎開先の新潟から東京に戻ってからの方が強烈に覚えています。ミカン箱を抱えて通った新制中学、新憲法にかかげられた男女同権、そして戦争放棄、中学生になった私には初めての婦人参政権も選挙速報もみんな胸の高鳴ることでした。闇市に行くとララ物資の粉袋が売っていて、それで下穿きを作ってもらいましたけど、後に緑色の英文字がついていました。セーラー服なんて夢の又夢です。けれど近所のお屋敷の家にはチーズ巻きになった純毛の毛糸が積んでありましたし、どこそこのエラーイ社長さんの娘である友達は入学式にセーラー服に腕時計までしてきました。近所の八百屋では2時間も並んでも大根の葉一枚買えませんでした。その頃「ヨコナガシ」という言葉を覚えました。どの位続いたでしょう。平等なんて嘘だとつくづく思いました。これじゃ自分が政治家になるより仕方がないと心に刻んだのが13才の春だったのです。それから時は移り教師になり主婦になり地域の運動をしシャツを作っているのです。

今まで新聞でも戦争中の記録を募集していて応募はするのですが、シャツ作りではお話になりません。けれど50才前の母親と思春期を迎えた娘が「羨ましくて、羨ましくて、その毛糸が欲しくて、着せたくて、着せたくて」それを満たす事が出来ない焦燥感と非痛感は今思い出しても胸が痛みます。もしかしてその母が死ぬ前に「わたしは何も出来なかった」と呟いたのはその事だったのかも知れません。
しかし家族7人無事に生き抜きました。平和でした。平和とは大上段振りかざして国が統一するものでなく、個々の小さな平和の塊が国を平和にするものなのかとも思います。あと何年生きるかはわかりませんがシャツを作り続けます。私の戦後処理です。

御近所の70才に満たない女の方が突然亡くなりました。3ヶ月の闘病でした。やっぱり「生きている」という事は何でも出来るという事なのです。元気のいい声が裏の畑から聞こえなくなってしまいました。セミの鳴き声と、シオカラトンボの舞う残暑の田圃です
posted by ヨシミ at 23:53| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月19日

土用の日に

九州豪雨で被害に遭われた方々どんなに大変だったでしょう。隣の県の事故、人ごととは思えず、友人の家族、お世話になった人々、みな様の無事を祈るばかりです。どうぞ暑くなりました。お体をおいとい下さいませ。

季節は大暑から立秋になり、72候でも大雨時行(たいうときどきふる)そして涼風至(すずかぜいたる)と移りますが、今年はそんな暦通りになりそうもありません。連日の大雨そして後の酷暑。「朝顔が咲いたらキャベツの種を蒔きます」「鶏頭の花が咲いたら白菜やレタスの種を蒔きます」と農家の暦にはありますが、我が家の畑を見ても花壇を眺めてもその気配すらありません。それでも出荷する農家は一日でも早く、誰よりも早く収穫して収益を上げようと工夫を凝らしていることでしょう。
我が家の畑では混植もいいところで、トマトの前にトウモロコシ、ナスの脇にピーマン、オクラの上に日本カボチャ、ビワの木にはソーメンウリ、甘トウガラシの中にトーガン、もう自分でも畑中歩いてもどこに何があるか、夕方バケツを持って収穫に歩いてもわからない始末。それにニンジンもたくさん穫れて、糠味噌に入れ、毎朝、本当はあまり好きでもないのに「甘いからね」と昔母に言われたのと同じ言葉を自分に言い聞かせて食べているこの年寄り。
植物は何と何が仲好しなのか、娘も昨年は瓢箪の種をたくさん蒔いても1本も出来なかったのに、今年はそのうちの1本が土の中で冬越しして残っていたのでしょう、もう鶏小屋の屋根一面覆って実をつけています。昨年枯れてしまった芽を前にしてあまりにも悲しんだ為、瓢箪の神様でもちょっと忖度してくれたのでしょう。同じ地面に同じように肥料をやり水を撒いても、つむじを曲げて絶対に成長しないからと強情を張っているキュウリもいるのです。まあ、あんまり逆らわないで、ある物を食べて夏を過ごしましょう。鶏は毎日5個の卵を産み雄鶏はおじいさん鶏と共に時を告げています。この頃近所の犬も鶏と同じような鳴き方になってきました。子供達も真似してますけど、この状態いつまで続くでしょう。
花壇は娘のかかり。何種類ものユリが私の仕事場の前の垣根に咲き誇り芳しい匂いを漂わせています。その下で麦わら帽子を被り写生に余念がなく、もう来秋の個展の準備にかかっています。なにしろ育てて画くのですから気の長い事、時々花が咲かない球根があるのですが、「来年もう一度夏があるから」なんて悠然としています。

私の仕事場、順調に稼働し、これなら夏中にシャツが織り上がるかなと思ってはいるのですが、なにしろ大変。今朝も「人間の健康の為には8000歩と速歩き20分」なんてテレビで放送していましたけど、この年になるまで万歩計をつけた事もなく、まして一日何歩なんて考えた事ありません。これじゃ長生きできないだろうと思いながらも、門の外に出る事がありません。人の家を訪ねる事も、ちょっと買い物という事も、ポストまでという事もありません。ひたすら家の門の中で動いて、3階まで登ったり降りたり、時には野良猫の親子のヒゲを引っ張ったり…やっぱり健康生活には程遠いかもしれません。
色紙重ねの敷物は難しいです。絹布の柄が様々な上、濃色の友禅が多く色合わせに苦労し最後まで織り切れるか不安になってきました。まあ出来上がって会場の机の上に敷き詰められる様を夢見てしましょう。

今日のおやつは何にしましょう。先日頂いた香煎を入れたクッキーに紅茶はいかがですか。それとも卵たっぷりのケーキですか。台所では昆布だしのよい匂いがしています。さあ腕まくりして御馳走作りです。それからおもしろい便りがありました。私が兄嫁の為に送ったシャツを1931年生まれの兄が着ているそうです。昔からお洒落な人でしたが着心地がよく「左右打ち合わせが逆でも何のその」とあり重宝しているようです。男の人が着る第一号です。個展の時にもお年を召した男の方が欲しがっていました。「若い女の人」と考えていたのがちょっと偏見だったのかもしれません。もう少しファッションの勉強をして、格子を組む事に力を入れます。これが課題です。
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2017年06月20日

珍しい布

夏至を前にして、梅雨に入ったとはいうものの、何と雨が降らないこと。野菜も花も人間も雨待ちです。
旧暦5月、腐草為蛍(かれたるくさほたるとなる)から始まって、梅子黄(うめのみきなり)、乃東枯(うるきかれる)、菖蒲華(あやめはなさく)、半夏生(はんげしょうず)、温風至(あつかぜいたる)と季節は夏至から小暑に移ります。(うるき…ウツボグサの古名、一説にジュウニヒトエの古名とも《広辞苑》)
我が家の畑ではナスもキュウリもトマトも実は着いているのですが大きくなりません。長い長いホースを引っ張り回して水を撒くのですが足りず、でもトウモロコシだけは元気で、もう花穂が出ています。天気予報ばかり気にしている毎日です。米作りの農家はさぞ大変と思うのですが、私の家の近所は、田がほとんど潰されアパートに変わり、水騒動もなくなりました。こんな地方の田舎町も開発という波にもまれ、鎮守の社も秋祭りの幟も見えなくなりました。アパートを作っても空室が目立っているのですが跡継ぎのない農家にとって仕方のないことでしょう。

私の仕事場、やっと動きだし、敷物の方もシャツの方も経糸も緯糸も揃い、あとは気の遠くなるような単純な作業の積み重ねです。この度のシャツは白地にするので綿は染めずに使いますが今まで使っていた布団綿でなく、褞袍(どてら)、丹前(たんぜん)の綿を紡いでいます。もともと母が戦前に作っていた品らしいのですが、使用する事もなく押し入れの一番下にペチャンコになっていた物です。丹前綿という上等な綿だったのでしょう。繊維も長く、打ち直しもしてなかったため、紡いでみたら立派な糸になりました。暑さに向かって、コトンコトンと紡いで織る仕事は体の酷使だとわかってはいるものの、娘が一言「そんならやめちゃいなさいよ」には負けます。この仕事がなかったら何をして生きたらよいのでしょう。朝起きて「あっちが痛い、こっちが痛い」とボヤキ、果ては「そんな薬飲むの止めたら」といわれ「うん」と返事して薬を止める始末。「共謀罪」で反対の狼煙を上げている国会前の若い人達、それに混じって私の友達も老屈に鞭打って声を上げている姿を想像すると、自分は何をしたら良いか頭を抱えてしまいます。ただ自分の立場で考えながら美しい物を創るだけです。それでも個展を重ねるにつれて若い人達との出会いが出来、その人達から、年を重ねている為か人生の先輩として慕われているのはうれしい事です。自然農法を行っている方々からの小麦粉や香煎を頂き、若い方々の努力には頭が下がります。しかしこれを安価で流通に乗せるのには困難があるでしょう。どうしたらよいか、「加計問題」よりも大変な事です。どんどん需要がなくなれば生産しなくなる事は理解しています。企業も採算が取れなくては成り立たないからです。

今年は梅をやっと10s見つけました。梅の木はあっても人手が足りず、収穫が出来ない状態はこれからも続くでしょう。今まで無農薬の梅を30年近く貰い梅干しを漬けていた事に今更感謝です。ここの梅林も国道拡張の為なくなってしまったのです。
何もかも住み難い世の中になったのかなと思いながらも、ふとした事から、もう何十年も前に亡くなった父の徳島土産の「しじら上布」が手に入り、感激しています。もともと綿だけの布が「上布」と銘打って麻が半分入っている珍しい物で、阿波正藍染で今では手に入りにくい品です。さっそく仕立てます。
これで元気が出て又一生懸命働きます。
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2017年05月21日

皐月晴れの日に

立夏も過ぎ季節はもう小満。蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ) 紅花栄(ばにばなさかう) 麦秋至(むぎのときいたる) 螳螂生(かまきりしょうず) となり芒種を迎えます。
私の所の小さな畑でも大忙し。夏野菜の植え付けと同時に薬草の刈り取りと乾燥。昨年の摘み取りがきつかったためか「かきどおし」は少なめだった代わりに、「すいかづら」がよく、蕾と共に全草が窓辺にずらり。ドクダミと柿の葉もビワの葉も並びます。早朝にはカモミールの花を籠一杯にに入れ、ついでにキャベツについた青虫も鶏の朝ご飯にします。忙しいのは虫達も同じ。例年だと6月に入って生まれるカマキリの子までもうキャベツの中で、青虫を追って駆けていましたし、クモも負けじと自分の体より大きい虫をグルグル巻いていました。

私の二階の仕事場もやっと窓が開き、敷物用の1m15pの機に経糸がかかりました。1p6本で11m、690本の整経ですが、この度は麻糸を使い再び緯糸は絹の裂糸を試します。前回の時は6m整経でしたが結局机2個分しかなかったので今度は4個分に挑戦です。
シャツの方はやっと経糸の整経が終わり糊付けが出来、今日から機に通します。もう何枚目を織っているのかわからなくなりました。けれど縫製も織も上手になっている事は確かです。それと、このシャツは若い人だけでなく、60代や70代の人にも着てもらえそうだと、個展の会場で感じました。元気を出して来年の秋の個展の為に糸を紡ぎます。そうして両方の機がリズムに乗って動き出したらお約束した方々とお逢いしましょう。きっと何か新しい事がわかる筈ですから。

娘も次の目標に向かって燃えています。とは言っても目下の所「花作り」で、花が咲かないと絵は画けないそうで、何種類の種を蒔き球根を育てているのでしょうか。石の陰にも蹲の下にもタイツリ草の可憐な花が咲き、カキツバタの紫が栄えています。カレンダーが作りたいとは言っていますけど、うまく12ヶ月分花が咲き、こっちゃんの言う事を聞いてくれるでしょうか。

このひと月くらい忙しいこ事は嘗てありませんでした。個展が終わっての報告をもっと続けてと思っていた所、私事ですが、私の長兄が突然亡き両親の所に旅立ちました。享年88才、米寿を迎えての事でした。戒名に「音響」の二文字が入ったのは、いかにも研究者らしく、又献杯の時、次兄が長兄の好きだった安宅(あたか)を謡って送ったのには涙がこぼれました。
両親の時にはあまり感じなかった事がいよいよ自分達の事のように身につまされ、しばらくは心の動揺を隠せませんでした。
10年以上兄弟姉妹全員揃った事はありませんでしたのに…こんな形で。しかも個展の時には大きな花で祝福してもらったばかりですのに。母はヒヨドリになりました。長兄は何になったでしょう。
posted by ヨシミ at 23:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする