今年も余すところ6日になりました。あんなに暑かったのに、この寒さはどうしたことでしょう。冬至も過ぎ小寒、大寒へと続き、ますますストーブから離れられなくなりました。ICJの判断では、自国だけでなく他国への影響を大きく取り上げています。確かに富める人は電気を使い、部屋中というより、家中暖房して薄着でテレビを観ている映像が流れています。クリスマスの食卓の様子でしょう。ジングルベルの曲に合わせ豪華な贈り物の包み、子供達の満足気な顔。それが「いけない」と言っているのではないのです。食料の寄附が少なくなって、子供食堂も、お弁当を配布するのも困難になっている状態を黙って見ているだけなのでしょうか。国会ではいろんな「壁」が音沙汰されています。それらを実行されることによって、国税が少なくなって、ますます医療介護の面がおろそかになってこないでしょうか。今の国会を見ていると自分の党をいかにアピールするかだけに腐心しているような気がします。「それならお前がどうにかしたらいいじゃないか」と言われるに決まってます。「もっと寄附したりお弁当を配ったり」とかです。けれどそれはやっぱり違うのです。「90才になった婆さんが何をゴタゴタ言うんだ」と言われます。けれど戦争を知っている最後の人間であり、ララ物資の粉の袋で作ったショーツを履いた子供であり、お尻に緑の文字が印刷されたショーツなのです。
元気を出して新年を迎えましょう。庭は花いっぱいです。冬の花が咲き揃いました。天まで届きそうなユズの木の天辺に毎朝小鳥が来ます。さすがに冬野菜の出来は悪いのですが、新しい大根の芽が出てきました。カブもです。毎朝間引き菜をとり、ニラの葉を摘み、三つ葉をとって春を待っています。ユズのお風呂に入り新年を待っているなんて、幸せなことです。少しだけヨロヨロしてますけど…。春になって二階の仕事部屋に籠もる前に糸紡ぎです。たくさんの染めた綿を、次のシャツを織る為の準備です。今度のシャツは少し大きな格子にします。個展の時、まだ20代の若い子が10p位の格子のシャツの前で「これ似合うよね」と友達と話してました。今迄、女の子の着る事しか想像してなかったのに意外で、範囲を広げてみようと思ったのです。
さすがに90才になると仕事がのろくなり、娘に追い立てられます。あっちが痛かったり、こっちが不具合になったり、ガタが来ています。それでも医者は「どこも悪くない」とおっしゃる。「それなら、どこか悪くなって、死ぬのですか」と聞くと「神のみが知る」と答えを貰う。まあ、個展もあと3回で限りをつけ、シャツも100枚以上は作ったし、欲は言わない事にしましょう。
今晩の御菜は何にしましょう。お八つは娘の仕事で御菜は私です。大根を煮ましょう。よいお年をお祈りします。
2024年12月26日
2024年11月27日
卒寿になって
朝、目が覚めた時、「あら、今日は何月何日だったかしら」とカレンダーを見ます。年の所為だけではありません。暖かかったり寒かったり、自分の体では判断できないこの頃です。今日はよく晴れてます。けれどお日様だけは正直で、寒暖に関係なく朝6時56分に出て、夕方5時7分に沈みます。東の方に山があるので、ラジオ体操をする頃はちょっと山の端が赤く染まる位。冬至も過ぎ小寒、大寒へと続きます。昨年の今頃は「柿の実も残り少なく…」と親しいお友達への便りに書き、「こっちゃん絵はがき」のこっちゃんが大きな柿を頬張る絵でした。それが今年は3個です。天を衝くような3本の木にです。どうしたことでしょう。お友達からの毎年の贈り物「西条柿」もまだ届きません。まあみんな温暖化の仕業でしょうか。柿が食べたかったら何をしたらいいでしょう。柿だけではありません。畑の野菜も、花壇の花達もです。私の家の周囲は全部宅地になってしまいました。勿論、私が文句を言う筋合いではないのですけど…。夕方になると、小さい子を連れて、若い夫婦が自分の買った土地なのでしょう、境界抗のある中を歩いています。せめて木を植えて、花を作って小鳥達を呼び寄せてくれるといいのですが…。「90才になる婆さんが、文句ばかり言って」と爪弾きされるだけです。自分達だって若い頃は何も知らなかったのでしょうから…。
仕事場の話に移りましょう。次のシャツの為に連日紡いでいます。1回のシャツ3枚を織る為に必要な緯糸にする綿を紡いだ糸は、ちょっと膨大なのですが、今迄は10色近く使うのを、1本も斑なくと気を使って染めていたのですが、この度は、緑がどうしても落ち着かず、染め直そうかと思案していたのですが、考え直して「ムラムラ」の綿をそのまま紡いでしまいました。勿論、出来た糸も、ムラムラ。面白い糸になりました。これを機にかけたら、今迄と違って、お行儀の悪い緯糸に、取り澄ました経糸。これで作ったシャツはどんな顔になるのでしょう。このシャツを着た娘。この頃、自分のズボン作りに熱中して、常識では考えられない柄物を使って悦に入っている娘が、どんなに着こなすか。巷では砂漠の真ん中に新しい衣服が山と積まれ、それを燃やす火が絶えないとか。国連気候変動会議が会期を延長して続いた今、米国のトランプ次期大統領がパリ協定から離脱する意向を示しているとのニュースが飛び込んでいる。本当に衣服を燃やしても関係なさそうだけれど、やっぱりそうじゃないのだと、自分達地球に住む人間は一人一人の責任として考えなくてはならないのでしょう。
この頃になると医者に「どこも悪くありません」と御墨付きをもらっても寄る年波には勝てません。卒寿になりますから…。
仕事場の話に移りましょう。次のシャツの為に連日紡いでいます。1回のシャツ3枚を織る為に必要な緯糸にする綿を紡いだ糸は、ちょっと膨大なのですが、今迄は10色近く使うのを、1本も斑なくと気を使って染めていたのですが、この度は、緑がどうしても落ち着かず、染め直そうかと思案していたのですが、考え直して「ムラムラ」の綿をそのまま紡いでしまいました。勿論、出来た糸も、ムラムラ。面白い糸になりました。これを機にかけたら、今迄と違って、お行儀の悪い緯糸に、取り澄ました経糸。これで作ったシャツはどんな顔になるのでしょう。このシャツを着た娘。この頃、自分のズボン作りに熱中して、常識では考えられない柄物を使って悦に入っている娘が、どんなに着こなすか。巷では砂漠の真ん中に新しい衣服が山と積まれ、それを燃やす火が絶えないとか。国連気候変動会議が会期を延長して続いた今、米国のトランプ次期大統領がパリ協定から離脱する意向を示しているとのニュースが飛び込んでいる。本当に衣服を燃やしても関係なさそうだけれど、やっぱりそうじゃないのだと、自分達地球に住む人間は一人一人の責任として考えなくてはならないのでしょう。
この頃になると医者に「どこも悪くありません」と御墨付きをもらっても寄る年波には勝てません。卒寿になりますから…。
2024年10月30日
選挙とさまざま
朝、目覚めた時、まず見るのが温度計。「今日は暖かいのかしら、寒いのかしら」と。20℃あれば良しで、10℃台だったらもう一度温もりの残っている布団の中へ…。ベルの音にびっくり飛び起きてラジオ体操を。こんな毎朝でもう10月も終わります。本当に季節がわからなくなりました。これは人間だけでなく花も野菜も、鶏も猫もでしょう。今年の畑には、まだ最後のカボチャもトーガンも実をつけています。夏野菜の代表、ナスも健在です。その代わり白菜やキャベツが育つでしょうか。
私の家の周りは広い田んぼでした。それが全部宅地に替わり、終日機械音がしています。昔は家を建てるというと槌の音が響き、釘を打つ音がしました。けれど今は大きな起重機で「ガー」と騒音と共にねもう部屋が乗っています。田んぼを売る人も、後継ぎがいなかったりで事情はあるのでしょうけど…。単に「米」が不足するという事だけでなく「保水」という事も考えなければならない事らしいのです。今「水害」があちこちで起こっていますが、雨が降ると全部、住宅の側の小さな川に流れ込んでいます。大雨になると3階の仕事場から眺めていますけど。
選挙の車が回っていました。整理されていない農道と、荒れ果てた田畑、そこに樹木が1本も植えられてない住宅地。環境問題も気候変動も選挙カーに乗っている人には関係ないのでしょうか。ただお金ですか。
2025年春夏パリファッションウィークでどんな服が取り上げられているかご存知ですか。「今、世界では不確実なことが多すぎる」と語り、「透明性をもって立ち向かう」といってショーを行った川久保玲。そして他の人々。みんな「先が見えない」と思っているのです。それでも若者も年寄りも生きているのです。少しでも「あかり」のある所に行きたくて。選挙して「エライ人」を選んで安心して外を歩ける世の中にしてもらいたくて…。母の初めての選挙があって、遠い所まで下駄を履いて結果を見に行った事を鮮明に覚えています。神近市子が当選してました。もう大喜びしました。「これで女も政治に加えられるんだ」と。それから「将来の希望は」と聞かれる度に「総理大臣」と答えていました。男女同権を叫ばれ始めた新制中学1年生の頃です。
それから80年近く。政治家はどこに行ってしまったのか、シャツを作っています。次の機にかける前の下準備で、四六時中、紡いでいます。今度は少し大きな格子で、青と黄を主体に、1p位の赤が入るといいのですが…。やっぱり赤は難しいです。植木屋さんが、紅梅の枝はたくさん持ってきてくれるのですが。母がよく「庄屋さんのお嬢様は赤い縞の着ているのが羨ましくて」と言ってました。それ程「赤」は貴重なのは今も変わりません。また元気を出して次の個展に向かいましょう。
私の家の周りは広い田んぼでした。それが全部宅地に替わり、終日機械音がしています。昔は家を建てるというと槌の音が響き、釘を打つ音がしました。けれど今は大きな起重機で「ガー」と騒音と共にねもう部屋が乗っています。田んぼを売る人も、後継ぎがいなかったりで事情はあるのでしょうけど…。単に「米」が不足するという事だけでなく「保水」という事も考えなければならない事らしいのです。今「水害」があちこちで起こっていますが、雨が降ると全部、住宅の側の小さな川に流れ込んでいます。大雨になると3階の仕事場から眺めていますけど。
選挙の車が回っていました。整理されていない農道と、荒れ果てた田畑、そこに樹木が1本も植えられてない住宅地。環境問題も気候変動も選挙カーに乗っている人には関係ないのでしょうか。ただお金ですか。
2025年春夏パリファッションウィークでどんな服が取り上げられているかご存知ですか。「今、世界では不確実なことが多すぎる」と語り、「透明性をもって立ち向かう」といってショーを行った川久保玲。そして他の人々。みんな「先が見えない」と思っているのです。それでも若者も年寄りも生きているのです。少しでも「あかり」のある所に行きたくて。選挙して「エライ人」を選んで安心して外を歩ける世の中にしてもらいたくて…。母の初めての選挙があって、遠い所まで下駄を履いて結果を見に行った事を鮮明に覚えています。神近市子が当選してました。もう大喜びしました。「これで女も政治に加えられるんだ」と。それから「将来の希望は」と聞かれる度に「総理大臣」と答えていました。男女同権を叫ばれ始めた新制中学1年生の頃です。
それから80年近く。政治家はどこに行ってしまったのか、シャツを作っています。次の機にかける前の下準備で、四六時中、紡いでいます。今度は少し大きな格子で、青と黄を主体に、1p位の赤が入るといいのですが…。やっぱり赤は難しいです。植木屋さんが、紅梅の枝はたくさん持ってきてくれるのですが。母がよく「庄屋さんのお嬢様は赤い縞の着ているのが羨ましくて」と言ってました。それ程「赤」は貴重なのは今も変わりません。また元気を出して次の個展に向かいましょう。
2024年09月28日
忙しい日々
暑い暑いと昨日まで茹だっていたのに、今朝の涼しいこと、21℃しかなく2度びっくり。これでは花も野菜も人間もたまりません。秋分も過ぎ寒露です。昔、十五夜の見事だったのを兄弟揃ってすすきと、おだんごと、きぬかつぎを並べて手を叩いた日を想い出しながら、兄達も妹も弟も亡し、一人になってしまった淋しさを感じています。現在、裏庭は恭花夕顔に占領され、ものすごい状態です。せっかく育てた夏野菜の上もお構いなし。尤もこれで猛烈な熱風を避けられたのかも知れませんが…。
やっと秋が来たようで、仕事にかかりましょう。新しいシャツを作る前に、30年も作り続けたシャツの残り布を整理する事にしました。大体11mの布を織って、シャツ3枚作って残りですから、まあ1m余りですが、端布の多い事、茶箱一杯でも溢れて「これ、みんなゴミ袋に入れるのかしら…」と考え込んでしまいました。染料を煮立てて作り、綿を染めて、紡いで糸にし、機にかけ、布にし、仕立てた布です。可哀想で…。大きいのと小さいのと細かいのに分け、布巾にしたりまでは良かったのですが、10pにも満たない切れ端はどうするか、考え込んでも仕方ありません。全部、四角い型にして切断して継ぐことにしました。小さい布は5p、大きい布でも13p、長さも巾も異なる布を1枚ずつ合わせました。不思議と、何百枚にもなる布でも、必ず同じ巾か長さのものはあるものです。この仕事は夏中続くでしょう。全部継ぎ終わって1枚の布になったら来秋の個展の壁面に架けて絵を飾りましょう。
暑い夏の昼下がり。「こんな事をしていていいのかな」と考えます。誕生日には卒寿になる私。もう誰もいなくなってしまった90歳の私。あと10年は大丈夫だと医者に煽てられ、悦に入っている私。「10回迄は個展をするのだ」と機に座っている私。そして、もう何十年も玄米粥を主食にしている私。毎日、夕方には雑木を燃やして染料を作っている私。食事の主菜作りは私であり、娘はおやつの係。黒豆の納豆も、豆腐も、味噌も、ヨーグルトも、ケーキも、クッキーも、娘の仕事。そして娘は私の介護人。車の運転は娘。そして高々とサックスの音を轟かせて猫をびっくりさせているのも娘。そして娘に「あと10年は生きるぞ…」と豪語している私。本当でしょうか。1分前にやった事を忘れているくせに。
秋になりました。金木犀も間もなく咲き始めるでしょう。サルナシの実がもうすぐ熟します。これは鶏が大好きなのですが、もう一羽になってしまいました。終わりになりましたけど。
能登の豪雨、お見舞い申し上げます。食事の度に箸もお椀も猪口も輪島塗のものであり、一雄のお弁当箱も特注で作ってもらったのを、今はもう作れないだろうなと思っています。朝刊を読みながら「中道保守」って何だろうと頭を抱えています。
やっと秋が来たようで、仕事にかかりましょう。新しいシャツを作る前に、30年も作り続けたシャツの残り布を整理する事にしました。大体11mの布を織って、シャツ3枚作って残りですから、まあ1m余りですが、端布の多い事、茶箱一杯でも溢れて「これ、みんなゴミ袋に入れるのかしら…」と考え込んでしまいました。染料を煮立てて作り、綿を染めて、紡いで糸にし、機にかけ、布にし、仕立てた布です。可哀想で…。大きいのと小さいのと細かいのに分け、布巾にしたりまでは良かったのですが、10pにも満たない切れ端はどうするか、考え込んでも仕方ありません。全部、四角い型にして切断して継ぐことにしました。小さい布は5p、大きい布でも13p、長さも巾も異なる布を1枚ずつ合わせました。不思議と、何百枚にもなる布でも、必ず同じ巾か長さのものはあるものです。この仕事は夏中続くでしょう。全部継ぎ終わって1枚の布になったら来秋の個展の壁面に架けて絵を飾りましょう。
暑い夏の昼下がり。「こんな事をしていていいのかな」と考えます。誕生日には卒寿になる私。もう誰もいなくなってしまった90歳の私。あと10年は大丈夫だと医者に煽てられ、悦に入っている私。「10回迄は個展をするのだ」と機に座っている私。そして、もう何十年も玄米粥を主食にしている私。毎日、夕方には雑木を燃やして染料を作っている私。食事の主菜作りは私であり、娘はおやつの係。黒豆の納豆も、豆腐も、味噌も、ヨーグルトも、ケーキも、クッキーも、娘の仕事。そして娘は私の介護人。車の運転は娘。そして高々とサックスの音を轟かせて猫をびっくりさせているのも娘。そして娘に「あと10年は生きるぞ…」と豪語している私。本当でしょうか。1分前にやった事を忘れているくせに。
秋になりました。金木犀も間もなく咲き始めるでしょう。サルナシの実がもうすぐ熟します。これは鶏が大好きなのですが、もう一羽になってしまいました。終わりになりましたけど。
能登の豪雨、お見舞い申し上げます。食事の度に箸もお椀も猪口も輪島塗のものであり、一雄のお弁当箱も特注で作ってもらったのを、今はもう作れないだろうなと思っています。朝刊を読みながら「中道保守」って何だろうと頭を抱えています。
2024年08月27日
暑い夏に
暑い日が続きます。ここ山口市は、もう何日雨が降ってないのか…人間どころか、花も野菜ももう枯れる寸前です。24節気では立秋も過ぎ、処暑です。綿柎開(わたのはなしべひらく) 天地始粛(てんちはじめてさむし) 禾乃登(こくものすなわちみのる) そして9月に入り白露になるのですが、暦のようにいかないかも知れません。畑にこの時期、大量に発生して退治するのに困るカメムシの類がみえません。その代わり、コガネムシの仲間がダリヤの花を全部食べてしまい、畑仕事の最後はちょっと残酷ですが…、まあ許してもらいましょう。
私の仕事場、7月に機にかけた布は織り終わりシャツ3枚と夏向きの半袖のシャツを仕立て終わりました。ボタン穴を開けてボタンをつけて、娘に「今度のシャツいかが」と言って渡したところ「おかあさん、このシャツ、前のと同じみたい」と言われてびっくり。個展の時に飾ったので、出してみて二度びっくり。ちょっと横に白の格子が増えただけでそっくりです。整経する時にノートを見、方眼紙で作る作図を見ていたのですが、実物は見ていなかったのです。そこにある紡いだ経糸と、染めた緯糸を見て…。私の頭の中はどうなったのだろうと、きっと暑さのためかな、それとも年のせいかなと色々考えましたが、「まあ、人間の思考なんて、こんなものか」と「だから同じ事を悪い事と知りながらするんだろう」と…。
8月の終戦の日を迎えるとテレビは終日、戦争特集です。全部ビデオに録り端から見ているのですが、どうも納得いきません。どうして戦争を始めたのですか。戦争をしなくても解決の方法がなかったのですか。「私にはそんな難しいこと、わかんない」なんて言いません。その時代を生きてきた一人一人の問題なのですから。今、どの党も総裁選に現を抜かしています。誰が総理になろうとも党首の座をとっても、庶民である自分達にも関係あるのです。年金の問題も、この暑さに「エアコンをつけてください」と放送しても、エアコンがつけられない人も、電気代を気にしている人もいるのです。そんな事知っている政治家はいるでしょうか。戦後すぐ女にも選挙権が与えられ、母と随分遠い所まで下駄を履いて結果を見に行った事を覚えています。もっと新聞を読みましょう。この年になると目も薄くなり活字もおろおろするし、面倒になるかも知れません。けれど今起こっている事は、少々思想的に各紙、差はあるかもしれませんけど、事実は知る事が出来ます。「米、品薄続く」と聞いて、どうしてかを知らずにガタガタ騒ぐのは愚の骨頂です。要するに猛暑で精米後に目減りしたことと、地震警戒で買いだめした事が原因らしいのです。全体的には減ってないようです。近所の田ではよく実っています。もっとも随分、田が住宅地に変わり、代替わりする度に農家が減っていきます。暑い夏の昼下がり、生涯学者であった次兄を亡くし、冥福を祈っております。
私の仕事場、7月に機にかけた布は織り終わりシャツ3枚と夏向きの半袖のシャツを仕立て終わりました。ボタン穴を開けてボタンをつけて、娘に「今度のシャツいかが」と言って渡したところ「おかあさん、このシャツ、前のと同じみたい」と言われてびっくり。個展の時に飾ったので、出してみて二度びっくり。ちょっと横に白の格子が増えただけでそっくりです。整経する時にノートを見、方眼紙で作る作図を見ていたのですが、実物は見ていなかったのです。そこにある紡いだ経糸と、染めた緯糸を見て…。私の頭の中はどうなったのだろうと、きっと暑さのためかな、それとも年のせいかなと色々考えましたが、「まあ、人間の思考なんて、こんなものか」と「だから同じ事を悪い事と知りながらするんだろう」と…。
8月の終戦の日を迎えるとテレビは終日、戦争特集です。全部ビデオに録り端から見ているのですが、どうも納得いきません。どうして戦争を始めたのですか。戦争をしなくても解決の方法がなかったのですか。「私にはそんな難しいこと、わかんない」なんて言いません。その時代を生きてきた一人一人の問題なのですから。今、どの党も総裁選に現を抜かしています。誰が総理になろうとも党首の座をとっても、庶民である自分達にも関係あるのです。年金の問題も、この暑さに「エアコンをつけてください」と放送しても、エアコンがつけられない人も、電気代を気にしている人もいるのです。そんな事知っている政治家はいるでしょうか。戦後すぐ女にも選挙権が与えられ、母と随分遠い所まで下駄を履いて結果を見に行った事を覚えています。もっと新聞を読みましょう。この年になると目も薄くなり活字もおろおろするし、面倒になるかも知れません。けれど今起こっている事は、少々思想的に各紙、差はあるかもしれませんけど、事実は知る事が出来ます。「米、品薄続く」と聞いて、どうしてかを知らずにガタガタ騒ぐのは愚の骨頂です。要するに猛暑で精米後に目減りしたことと、地震警戒で買いだめした事が原因らしいのです。全体的には減ってないようです。近所の田ではよく実っています。もっとも随分、田が住宅地に変わり、代替わりする度に農家が減っていきます。暑い夏の昼下がり、生涯学者であった次兄を亡くし、冥福を祈っております。
2024年07月27日
このごろのこと
「暑い暑い」と口を開けるのも本当に暑い「大暑」です。7月22日から始まって和暦で72「水無月」「常夏月」です。72候では「温風至」(あつかぜいたる) に続き「蓮始開」(はすはじめてひらく) となり8月7日の「立秋」を待つことになります。
今年の畑は「青じそ」が一面。昨年きちんと種を収穫してましたのに。とても食べ切れませんし、入浴剤にもしました。この入浴剤にした残りの湯が少し色がついてましたので「もしかしたら…」と思い染料に使ってみました。この暑い日盛りに庭でグツグツです。2週間目の夕方、綿を取り出してみたら、染まっていませんでした。少し茶色になっても洗ったら落ちてしまい、灰でも鉄でも反応しません。あきらました。又今年も実を使うことにしましょう。
仕事ではやっと次のシャツの経糸の整理が終わり、機にかけ始めました。今度は白を基本に720本ですが、だんだん動作が鈍くなり、今までの倍も時間かかっています。これも仕方ない事かと、ただひたすらに目を凝らしています。あんまり心配で、歯医者に行っても「先生、あと10年大丈夫ですか」と聞きますし、内科の検査に行っても「あと10年もちますか」と訪ねます。その度に「何歳サバ読んでいるのか」と真意はよくわかりませんけど、言われてしまいます。とにかく10回目の個展を終わらせましょう。その時には娘のサックスも上手になって騒音ではなくなり、「こっちゃん、おかあさんのためにファンファーレを吹く」なんて、素敵なことでしょう。
今年も終戦の日が来、そして戦争を知らない時代の子供達が増え、それを伝える大人達が少なくなっています。世界中が「きな臭く」なっています。私はたった一紙の新聞ではありますが、隅から隅迄読んでいます。それに加え加藤陽子氏の「それでも日本人は戦争を選んだ」(新潮文庫)を改めて読んでいます。いつも戦争を始めた「エライ人」が悪いと言って、自分達が子供であっても責任はなかったのかと疑問を持ちます。ただ慰問袋を作って、小さい赤い服を着たお人形さんを入れて、お手紙を書いて「兵隊さんありがとう」と書き「うちてしやまぬ」と清書し…旗を振って出征兵士を送り出し、それでも戦争に加担してなかったのかと問われたら…。もう闇市で、ララ物資の粉袋を買って緑色の字のついたまま、私の下着を作ってくれた母もいなくなりました。農家に着物を持ってサツマイモ買って5人の子供達の飢えを満たした母もいなくなりました。そしてそれを知っている私達の時代の者も残り少なくなりました。
一つ一つ小さい事でもいいのです。気が付いたらやりましょう。今日も「プラスチック」の事が問題になってました。「新しくプラスチックの台所用品は買わない」というだけで海洋汚染は少なくなります。意識の問題かもしれませんけど…。地球の問題になっています。
今年の畑は「青じそ」が一面。昨年きちんと種を収穫してましたのに。とても食べ切れませんし、入浴剤にもしました。この入浴剤にした残りの湯が少し色がついてましたので「もしかしたら…」と思い染料に使ってみました。この暑い日盛りに庭でグツグツです。2週間目の夕方、綿を取り出してみたら、染まっていませんでした。少し茶色になっても洗ったら落ちてしまい、灰でも鉄でも反応しません。あきらました。又今年も実を使うことにしましょう。
仕事ではやっと次のシャツの経糸の整理が終わり、機にかけ始めました。今度は白を基本に720本ですが、だんだん動作が鈍くなり、今までの倍も時間かかっています。これも仕方ない事かと、ただひたすらに目を凝らしています。あんまり心配で、歯医者に行っても「先生、あと10年大丈夫ですか」と聞きますし、内科の検査に行っても「あと10年もちますか」と訪ねます。その度に「何歳サバ読んでいるのか」と真意はよくわかりませんけど、言われてしまいます。とにかく10回目の個展を終わらせましょう。その時には娘のサックスも上手になって騒音ではなくなり、「こっちゃん、おかあさんのためにファンファーレを吹く」なんて、素敵なことでしょう。
今年も終戦の日が来、そして戦争を知らない時代の子供達が増え、それを伝える大人達が少なくなっています。世界中が「きな臭く」なっています。私はたった一紙の新聞ではありますが、隅から隅迄読んでいます。それに加え加藤陽子氏の「それでも日本人は戦争を選んだ」(新潮文庫)を改めて読んでいます。いつも戦争を始めた「エライ人」が悪いと言って、自分達が子供であっても責任はなかったのかと疑問を持ちます。ただ慰問袋を作って、小さい赤い服を着たお人形さんを入れて、お手紙を書いて「兵隊さんありがとう」と書き「うちてしやまぬ」と清書し…旗を振って出征兵士を送り出し、それでも戦争に加担してなかったのかと問われたら…。もう闇市で、ララ物資の粉袋を買って緑色の字のついたまま、私の下着を作ってくれた母もいなくなりました。農家に着物を持ってサツマイモ買って5人の子供達の飢えを満たした母もいなくなりました。そしてそれを知っている私達の時代の者も残り少なくなりました。
一つ一つ小さい事でもいいのです。気が付いたらやりましょう。今日も「プラスチック」の事が問題になってました。「新しくプラスチックの台所用品は買わない」というだけで海洋汚染は少なくなります。意識の問題かもしれませんけど…。地球の問題になっています。
2024年06月28日
やっぱり戦争
ここ山口県も梅雨入りしました。毎日雨です。猫も鶏も空を見上げながら平気な顔して外遊びです。人間は、ちょっと困ってます。あまり雨が強くて、花と野菜の手入れに棒を支えに打ち込んだり、敷わらを根元に敷いたり、こんなに手をかけても、どの位野菜が穫れるでしょうか。何しろ、野菜の中にダリアが咲き、あじさいが色とりどりなのですから。そこに肥料の土の中にあった「かぼちゃ」の種から芽が出て、トマトの苗の下をうろうろ。全く娘と2人、懸命に外仕事をしているのですが、成果はいかがなものか。しかし昨年のキュウリの漬物がまだ冷凍庫に残っているのですから、満更ではないのでしょう。
夏至も過ぎ、小暑になります。家の前の田畑が造成され、真砂が埋められ、その真砂が大雨で全部流され、溝を埋めて…土砂崩れの体です。こうやって災害が発生するのかと仕事場の2階の窓から眺めています。
その私の仕事場、染めた綿が山積みです。どうも色がよくつかないのです。綿の精錬が悪かったのでしょう。今までは打ち直した綿を使ったり、客用の新しい布団綿を使ったりでしたが、今度はいよいよ最後になって、子供用の小さい布団を解したからでしょう。なんでもない「茶色」が出ないのです。もうちょっと丁寧にしてみます。
この時期になるとやっぱり戦争の事を思い出します。もう東京の小学校で集団疎開に行った人は数少なくなっている事でしょう。東京北区の第三岩淵小学校で、群馬県の伊香保の旅館に滞在し、裏山で栗拾いし、伊香保の町の階段を薪を持って歩き、黄色に染まった温泉に入り、大広間の舞台で演劇をし、最後はコーリャン入りの御飯を食べて、「おうちに帰りたいよ、おかあさん〜」と泣いた日々のあった事を覚えていらっしゃる方はいられますか。一度でもその旅館に行って当時を思い出してみようかと思うのですが、年を取り過ぎました。娘に同行を頼むのですが関心なく、けんもほろろです。戦争をよく知っている一雄も亡くなり、私の兄弟も5人のうち2人になってしまいました。戦争を一番よく知っている93歳の兄と私です。若い時みたいにプラカードを持ち、黄色い声を張り上げて「戦争反対」「沖縄を犠牲にするな」と歩き回るのはもう無理でしょう。それよりも、私が子供を育てている盛りの時、食品公害が叫ばれ、ヒソミルクをはじめAF2の問題、赤色2号の害、カネミ油脂の事、あらゆる事があり、私達子供を持つ親は戦々恐々としました。学校の給食の事も洗剤の事も遠い昔の事です。けれど夢中になって調べ、交渉し、子供には給食を食べさせなくても改善を要求しました。「いりこ3匹」もこの頃の事です。友達からは「純粋培養」と言われました。その娘も息子も大きくなりました。こよなく音を愛し絵を愛している子供達です。そして私は89歳、これでいいのです。
夏至も過ぎ、小暑になります。家の前の田畑が造成され、真砂が埋められ、その真砂が大雨で全部流され、溝を埋めて…土砂崩れの体です。こうやって災害が発生するのかと仕事場の2階の窓から眺めています。
その私の仕事場、染めた綿が山積みです。どうも色がよくつかないのです。綿の精錬が悪かったのでしょう。今までは打ち直した綿を使ったり、客用の新しい布団綿を使ったりでしたが、今度はいよいよ最後になって、子供用の小さい布団を解したからでしょう。なんでもない「茶色」が出ないのです。もうちょっと丁寧にしてみます。
この時期になるとやっぱり戦争の事を思い出します。もう東京の小学校で集団疎開に行った人は数少なくなっている事でしょう。東京北区の第三岩淵小学校で、群馬県の伊香保の旅館に滞在し、裏山で栗拾いし、伊香保の町の階段を薪を持って歩き、黄色に染まった温泉に入り、大広間の舞台で演劇をし、最後はコーリャン入りの御飯を食べて、「おうちに帰りたいよ、おかあさん〜」と泣いた日々のあった事を覚えていらっしゃる方はいられますか。一度でもその旅館に行って当時を思い出してみようかと思うのですが、年を取り過ぎました。娘に同行を頼むのですが関心なく、けんもほろろです。戦争をよく知っている一雄も亡くなり、私の兄弟も5人のうち2人になってしまいました。戦争を一番よく知っている93歳の兄と私です。若い時みたいにプラカードを持ち、黄色い声を張り上げて「戦争反対」「沖縄を犠牲にするな」と歩き回るのはもう無理でしょう。それよりも、私が子供を育てている盛りの時、食品公害が叫ばれ、ヒソミルクをはじめAF2の問題、赤色2号の害、カネミ油脂の事、あらゆる事があり、私達子供を持つ親は戦々恐々としました。学校の給食の事も洗剤の事も遠い昔の事です。けれど夢中になって調べ、交渉し、子供には給食を食べさせなくても改善を要求しました。「いりこ3匹」もこの頃の事です。友達からは「純粋培養」と言われました。その娘も息子も大きくなりました。こよなく音を愛し絵を愛している子供達です。そして私は89歳、これでいいのです。
2024年05月28日
エイジズム
今日は暖かいのかしら、寒いのかしら、それとも真夏になってしまうのかしら…と雨戸を開けながら空を見上げています。季節はもう小満を過ぎ、芒種を待つばかり。本当なら麦秋至(むぎのときいたる) 螳螂生(かまきりしょうず) となるのですが、今年はかまきりの子供が1匹も見つかりません。まして麦畑など、どこまで行ったらあるのでしょう。ここは農村地帯ですのに。田畑が全部造成され、一区画が50坪にも満たない宅地が見渡す限り。我が家だけが鬱蒼たる森の如し。それでもまだ果物を植えたり、花の種を蒔いたり、ちょっとは食卓の足しになる菜っ葉を作ったり、それに染料を作ったり。土の大切さを感じ、恵みを頂きながらの生活です。
次のシャツの為に染料を煮出しているのですが、どうも思うようにいきません。輝くような黄色までは出来たのに若草色の緑にならず「まあまあ」というところです。私の定番の甘い茶色もドクダミ干し方が悪かったのか、もっと生のほうが良かったのか…よくわからない事ばかりです。それとも宅地造成の為、井戸水の成分が変わってしまったのかもしれません。当分、機にかけるまで綿を染め、紡ぐ仕事です。どちらにしても、昔の紅絹の布のような色が一番欲しいのですが…。次の8回目の個展を目指して綿や糸を揃えています。今度手に入れた経糸にする綿糸を購入したのが最後になるでしょう。これだけあったら充分あと3回出来ますし、布団綿もおしまいになります。
個展の会場で小さな男の子が「おばちゃんいくつ」と聞きました。「もうすぐ90よ」といったら目を丸くして両手を出して「へぇー」と言ってました。小さな指を何回折っても足りない数なのでしょう。
最近の新聞で「Ageism」という言葉を知りました。年齢差別の事なのでしょう。人種差別、性差別に続く第3の差別であり、世界的に寿命が延び、人口構造も今までと全く異なり、関心も高まってきたのでしょう。要するに高齢であるという理由で差別することらしいのです。世界保健機関(WHO)では、2021年に「エイジズムに関するグローバル報告書」を出しています。この中で細かく分類し「@制度A対人B自らに起因するもの」とあり、Bは自分自身に向けて生じるもので「もう年だからと自らの行動を制限し、自尊感情が低くなること」とあります。
先日もテレビで盛んに「年金」「介護保険料」と若い人が払う金額について騒いでいました。「何も生み出さないのに、金ばかりかかる」と言わないでもらいたい。確かに、今迄10分で出来たことが15分になっているかもしれない。すぐあちこちが痛くなるかもしれない。けれど、まだまだ、若い者には負けないと思う。娘には、たくさん教える事が残っている。私はシャンとしていたい。私の母が晩年「お前にはかなわない」と私に言っていた時、とても悲しかったから…。
次のシャツの為に染料を煮出しているのですが、どうも思うようにいきません。輝くような黄色までは出来たのに若草色の緑にならず「まあまあ」というところです。私の定番の甘い茶色もドクダミ干し方が悪かったのか、もっと生のほうが良かったのか…よくわからない事ばかりです。それとも宅地造成の為、井戸水の成分が変わってしまったのかもしれません。当分、機にかけるまで綿を染め、紡ぐ仕事です。どちらにしても、昔の紅絹の布のような色が一番欲しいのですが…。次の8回目の個展を目指して綿や糸を揃えています。今度手に入れた経糸にする綿糸を購入したのが最後になるでしょう。これだけあったら充分あと3回出来ますし、布団綿もおしまいになります。
個展の会場で小さな男の子が「おばちゃんいくつ」と聞きました。「もうすぐ90よ」といったら目を丸くして両手を出して「へぇー」と言ってました。小さな指を何回折っても足りない数なのでしょう。
最近の新聞で「Ageism」という言葉を知りました。年齢差別の事なのでしょう。人種差別、性差別に続く第3の差別であり、世界的に寿命が延び、人口構造も今までと全く異なり、関心も高まってきたのでしょう。要するに高齢であるという理由で差別することらしいのです。世界保健機関(WHO)では、2021年に「エイジズムに関するグローバル報告書」を出しています。この中で細かく分類し「@制度A対人B自らに起因するもの」とあり、Bは自分自身に向けて生じるもので「もう年だからと自らの行動を制限し、自尊感情が低くなること」とあります。
先日もテレビで盛んに「年金」「介護保険料」と若い人が払う金額について騒いでいました。「何も生み出さないのに、金ばかりかかる」と言わないでもらいたい。確かに、今迄10分で出来たことが15分になっているかもしれない。すぐあちこちが痛くなるかもしれない。けれど、まだまだ、若い者には負けないと思う。娘には、たくさん教える事が残っている。私はシャンとしていたい。私の母が晩年「お前にはかなわない」と私に言っていた時、とても悲しかったから…。
2024年04月28日
個展が終わって
穀雨も過ぎ立夏を迎えようとしているのに、暑いのか寒いのかわからない日々です。毛布を何枚も重ねたり、湯タンポを抱えたり、毛糸のチャンチャンコがまだ背中に乗っていたり。牡丹華(ぼたんはなさく) 蛙始鳴(かわずはじめてなく) 蚯蚓出(みみずいずる) 竹笋生(たけのこしょうず) から小満、芒種へと移ります。「たけのこ」は豊作とかで何回も食卓にのぼりましたし、冷凍にもしました。けれど蛙は鳴きません。私の家のすぐ下の広い田んぼが、全部宅地に造成されつつあるからです。子供達は「蛙の歌」も知らず、おたまじゃくしも「見たことない」と言うでしょう。時代の流れです。
個展は無事終わりました。3日間の会期と前後2日間の用意と片付け。もう3週間以上経っているのに家の中はシャツと絵で大童。「この次はこのシャツを参考にして」なんて次の来秋の8回目を考えながら箱に収めています。この度は遠いところから馳せ参じた方がたくさんいらっしゃいました。新潟や神戸、下関、小倉、ついでに香川の方も、東京からの教え子達も。嬉しい限りでした。そして私の古いお友達とも再会でき、お互い「元気だったの」と抱き合い、皺苦茶になった手を握りました。今年卒寿ですから。若い男の子がシャツのチェックを見て「こんなの着てみたいけど…。本当に作ったの?90才の人の作品に見えないけど…。」その時の私の答えは「今年のパリコレ見た?」と言って煙に巻きました。何回も個展を重ねていると見学の人が違ってきます。綿も布団もリサイクルも、もったいないも知らない世代です。単純にシャツを見、絵を見ています。それでいいのだと変な納得をした3日間です。このシャツが、焼却炉行きの60年前の嫁入り布団が原料であっても、関係ないのです。要するに、美しいか、着やすいか、それに丈夫であるかにかかっているのです。何十年も染めて紡いで織って、仕立てて、その域に達したというのが偽らない感想です。それから今回は広い白いギャラリーの壁一面に、30枚近くのシャツの両手を広げ、隣同士が手を繋いだように展示しました。小さい男の子が言ってました。「みんな仲良くだよね」そうでした。世界中がみんな仲良くです。若い頃、黄色い声を上げて、プラカードを持って「戦争反対」とデモをしました。でも今は違います。静かな闘争です。私達、最後の戦中派といわれた年代の人間が、やっておかなければならない事なのです。東京の麻布の家も焼け、疎開先の岡崎でも焼け出され、バラックに住んでいた一雄も亡くなってしまい、また語り部が減ってしまいました。でもマスコミにはあまり伝わらなかったようです。まあしょげないで次の機会に望みを託しましょう。何しろ10回までですから。
今春は花も野菜も大豊作です。毎日、落ち溢れた種から芽が出て菜っ葉があちこちに。もう抜いて食べるのに大変。それも土の恵みです。
個展は無事終わりました。3日間の会期と前後2日間の用意と片付け。もう3週間以上経っているのに家の中はシャツと絵で大童。「この次はこのシャツを参考にして」なんて次の来秋の8回目を考えながら箱に収めています。この度は遠いところから馳せ参じた方がたくさんいらっしゃいました。新潟や神戸、下関、小倉、ついでに香川の方も、東京からの教え子達も。嬉しい限りでした。そして私の古いお友達とも再会でき、お互い「元気だったの」と抱き合い、皺苦茶になった手を握りました。今年卒寿ですから。若い男の子がシャツのチェックを見て「こんなの着てみたいけど…。本当に作ったの?90才の人の作品に見えないけど…。」その時の私の答えは「今年のパリコレ見た?」と言って煙に巻きました。何回も個展を重ねていると見学の人が違ってきます。綿も布団もリサイクルも、もったいないも知らない世代です。単純にシャツを見、絵を見ています。それでいいのだと変な納得をした3日間です。このシャツが、焼却炉行きの60年前の嫁入り布団が原料であっても、関係ないのです。要するに、美しいか、着やすいか、それに丈夫であるかにかかっているのです。何十年も染めて紡いで織って、仕立てて、その域に達したというのが偽らない感想です。それから今回は広い白いギャラリーの壁一面に、30枚近くのシャツの両手を広げ、隣同士が手を繋いだように展示しました。小さい男の子が言ってました。「みんな仲良くだよね」そうでした。世界中がみんな仲良くです。若い頃、黄色い声を上げて、プラカードを持って「戦争反対」とデモをしました。でも今は違います。静かな闘争です。私達、最後の戦中派といわれた年代の人間が、やっておかなければならない事なのです。東京の麻布の家も焼け、疎開先の岡崎でも焼け出され、バラックに住んでいた一雄も亡くなってしまい、また語り部が減ってしまいました。でもマスコミにはあまり伝わらなかったようです。まあしょげないで次の機会に望みを託しましょう。何しろ10回までですから。
今春は花も野菜も大豊作です。毎日、落ち溢れた種から芽が出て菜っ葉があちこちに。もう抜いて食べるのに大変。それも土の恵みです。
2024年03月27日
卒業と個展と
春分の日も過ぎ、桜の開花を待つばかりになりました。街中では袴姿の親子連れ、大学の卒業式でしょう。「仰げば尊し」の歌が流れると、数々の卒業式を想い出します。戦後すぐの小学校、新制中学の一回生としての卒業式、それから高校、大学と経て、教師となり、60人余りの子供達を卒業させた東京西新井の小学校、その西新井の子供達ももう喜寿を迎える年になってしまいました。その子供達が揃って5人、私の個展を見に来ます。これで何回目でしょうか。私にとっては最初の教え子であり、それから一年経って山口の地に夫の赴任と共に来て教師から離れてしまい、本当に最初で最後とも言える子供達です。まだ新幹線もなく、夜行列車で東京駅から山口の地に向かったのですが、その時送りに来た子供達の顔、おみやげにバナナとピーナツを抱えてさよならと手を振っていた顔。どんな教え方をしていたのでしょう。午後の時間は眠くなる子がいて、みんなで教室を抜け出して、西新井のお大師様まで走りました。境内で鬼ごっこをして、それで教室に戻って社会科の授業おしまい。全く今の教育事情からは考えられない事です。今から60年余りも昔の事です。
その子供達に4月6日に逢えます。何歳になっても私は「先生」です。「しゃん」として「先生」の顔をして遠来の客を迎えましょう。何を着ましょうか。一の坂の桜も満開でしょうし、今からワクワクします。勿論草履は阿波屋にするか、それともやまと屋の消鎌倉にするか…娘は「おかあさん、何考えているの、自分の体は大丈夫なの」と言います。その度、私は「今年のパリコレはね」と返事しますけど…。
今度の個展は今迄とちょっと趣を異にして、シャツと絵のコラボです。シャツが26枚余り、絵も26枚余り。会場設営は娘にまかせてみましたが、上手くいきますか。まあ所詮は親子、どうぞ足をお運びになって「御覧じろ」です。なにしろ1985年にシャツ1号を完成させてるのですから、40年余り、随分たまりました。1年間に3種類、9枚は作っていますから…。今年の展示は一部ではありますが格子の下手なのも、色使いが意に反して、娘の作業着にしたものもあります。それも私の歴史の一部です。
山口市が何か騒がしいようです。住んでいる者にとっては「何で?」という位です。ただスマホがないとタクシーにも乗れなくなりました。市は高齢者にタクシー券を配っていますのに…。
今年の春は寒暖差が激しく自分の体も、花も、野菜もついていけません。その中で、救われるのは赤い椿の覆輪が咲いたことです。もう20年も前に種から蒔いた木です。大きなイブキの下に椿の垣根を作ったのですが、やっとです。今年は野菜畑の中に花が沢山咲きました。朝起きて摘んで歩くのが仕事に加わりました。
その子供達に4月6日に逢えます。何歳になっても私は「先生」です。「しゃん」として「先生」の顔をして遠来の客を迎えましょう。何を着ましょうか。一の坂の桜も満開でしょうし、今からワクワクします。勿論草履は阿波屋にするか、それともやまと屋の消鎌倉にするか…娘は「おかあさん、何考えているの、自分の体は大丈夫なの」と言います。その度、私は「今年のパリコレはね」と返事しますけど…。
今度の個展は今迄とちょっと趣を異にして、シャツと絵のコラボです。シャツが26枚余り、絵も26枚余り。会場設営は娘にまかせてみましたが、上手くいきますか。まあ所詮は親子、どうぞ足をお運びになって「御覧じろ」です。なにしろ1985年にシャツ1号を完成させてるのですから、40年余り、随分たまりました。1年間に3種類、9枚は作っていますから…。今年の展示は一部ではありますが格子の下手なのも、色使いが意に反して、娘の作業着にしたものもあります。それも私の歴史の一部です。
山口市が何か騒がしいようです。住んでいる者にとっては「何で?」という位です。ただスマホがないとタクシーにも乗れなくなりました。市は高齢者にタクシー券を配っていますのに…。
今年の春は寒暖差が激しく自分の体も、花も、野菜もついていけません。その中で、救われるのは赤い椿の覆輪が咲いたことです。もう20年も前に種から蒔いた木です。大きなイブキの下に椿の垣根を作ったのですが、やっとです。今年は野菜畑の中に花が沢山咲きました。朝起きて摘んで歩くのが仕事に加わりました。