2021年01月22日

パパのラッカセイ

【ご案内】

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息子と娘で絵本を作りました。
デジタル絵本、
どなたでもご覧になれます。

緊急事態宣言の中、
少しでもお楽しみ頂けたら幸いです。

デジタル絵本【パパのラッカセイ】

関ヨシミ
posted by ヨシミ at 14:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月23日

年の暮れ

寒い日が続き、池の水も凍りました。東北北陸の大雪、想像に余り有ります。どうぞコロナ禍も重なりお体お大切になさって下さい。もう冬至です。乃東生(うるきしょうず) 麋角解(さわしかつのおる) 雪下出麦(ゆきわたりてむぎのびる) そうして小雪、大雪と進み立春へと向かいます。立春の頃には梅の花も満開になりウグイスもメジロも来るでしょう。そしてコロナが静まってくれるといいのですが…。今年の新年にかけての願いはただそれだけ。年賀状を例年の如く作っていますが、ちょっと趣向を変えてみました。どうぞお楽しみに。

畑では、さすがに青いトマトは全部穫ってしまい、エンドウ豆を蒔き白菜も収穫し始めました。その青いトマト、暖かい所に置いたら赤くなるかしら…と思っているのですが、まあ無理でしょう。鶏も食べません。炒めたり、おなますに入れたりして食べてしまいます。「やっぱり昭和一桁生まれはすごい」って娘に言われますけど、丹精込めて作ったトマトです。自給自足です。食糧が不足したら一番最初に困るのは庶民です。田畑が宅地になってしまい今迄農家だった人達もお米を買って歩く、その上今年のように害虫と病気に稲がやられて平年より収穫が少なくなった時、値段は上がり生活に響いてきます。コロナ禍で明日の食物にも寝る所にも困っている人々が大勢います。「イートもトラベルも関係ない」とその人々は言います。どうしたらいいのでしょう。やっぱり政治の力ですか。

私の2階の作業場では相変わらず1m35p巾のタペストリーを織っています。色紙重ねの図案で、絹の布地を染めて裂いて、糸車で紡いで50p四方の色紙を織っていきます。一段に少なくとも25色の色を使っていますが、その選択が難しくもあり楽しみでもあり、3時間かけて5pです。あと何日で終わるか見当もつきません。何しろ15mの経糸ですから。これを次の個展に飾ります。これが終わったらこの機で裂き織りのコートを作ります。そして別のシャツの機には緑とピンクの格子を織り白いパンツに合わせてマネキンに着せます。ピンクの色は先日植木屋からカゴシマ紅梅の枝をトラック一杯もらったからです。グツグツお釜で煮て色を出す、そして綿を入れて煮出す、真冬の雪がちらちらする裏庭の真ん中で剪定した雑木の枝を燃やす。燃やした灰は全部畑の中へ…こんな生活しているとコロナ禍のことは忘れます。けれどちゃんと新聞は隅から隅まで読みますし、テレビも見ます。マスクも作りましたしアルコールも用意しました。先日も娘に「コロナになったら、一番先に命の選択されてしまうかもね、年だから…」と言われてしまいました。まあ、ワクチンを期待しましょう。

今年も終わります。この次の個展はいつになるかわかりませんが、東京からのお客様が無事こられる時にしましょう。

来年こそ、よい年になりますように。
posted by ヨシミ at 23:10| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月28日

循環はファッションにも

暖かいのか寒いのかわからないうちに小雪になってしまい、虹蔵不見(にじかくいれてみえず) 朔風払葉(きたかぜこのはをはらう) 橘始黄(たちばなはじめてきばむ) そうして大雪を迎えます。

畑ではトマトがいまだに青い実を沢山つけ、四角豆もおもしろい姿を見せ、まだまだ夏が終わらない形相で蔓に延びている隅でエンドウ豆が花を付けているのにはびっくり。植物自身も今何月か季節が解らなくなっているのかしらと、首を傾げている始末。庭の隅にある50年近く経つユズの実が今年はたった36個。例年だと優に200個は越えましたのに。剪定も肥料も怠りなくしましたのに。まあこれもみんな自然な事なのでしょう。

おもしろい記事を見付けました。朝日新聞11月5日(木)伊藤亜紗氏の利他学事始め「循環はファッションにも」です。ファッション業界がかかえている二つの大きな問題について述べていて、2019年の国連貿易開発会議で「世界第二位の汚染産業」と汚名を着せられたことで、環境への負荷として作られた服の6割が廃棄され、素材に化学物質が多く使用され、染色の過程で出る重金属などが川や海を汚している、それと一緒に労働の問題を取り上げ、最後にノーベル生理学医学賞を受賞された大隅良典先生の「分解は合成と同じくらい重要なんだ」という言葉を取り上げ、生産だけでは社会は成り立たない。ファッションのような身近なところに循環を考える入り口がある。と結んでいられました。

私が頻りに感心していると娘は「美学者」だから上手に文章をまとめているけど…お母さんにとっては、当たり前のことであり、今更なんで…おばあちゃんも、そのまたおばあちゃんもそうだったでしょ、と言いました。いつの時代でもたった一人の抵抗はこんなものだと納得してますけど…。娘は続けて言いました。「手芸として染めたり織ったり紡いだりする人は大勢いるけど、それを実用として着られるまで昇華させたのはお母さん位でしょ。なにしろ布団綿からシャツ200枚だから。もっとも生業にはならないけど」と。すべての事が手軽で便利で安価になり過ぎ、もっと広い視野で考えられなくなっているのです。「レジ袋いりません」の運動をし古い傘の袋で買い物袋を作ったのはもう40年も前の事です。

仕事場では135p巾の機でタペストリーの続きを織っています。古い絹地の裂き織りで、友禅はそのまま柄を生かし、無地は染めながらです。紅絹は藍をかけ、黄色の八掛には粟をかけ、褪せた胴裏にはビワの葉をかけて10pにも満たない四角を織っていきます。仕上がりは10mに達する作品になり壁を覆うことを夢見ているのですが完成しますかどうか、来秋の個展の日まで…。

シャツの製作は目下紡ぐ仕事に集中、シャツ3枚を作るのに綿は1s、5g紡ぐのに30分として100時間。どこでも断捨離という記事が目に留まるこの頃、この時間の使い方はどうでしょう。GOTOトラベルでも関係なく、ただ1週間に1回だけ買い物に行くだけの生活。冬物の着物を用意していたら、3枚の袷の裾廻しが傷んでいました。もう3回も縫い直しをした大好きな着易い品ですが、もうやめようかしらと眺めています。縫い直すにも覚えているか心配になりました。訪問着も留袖も仕立てた腕ですが…。母がこの年には目も悪く編み物さえ出来なくなっていました。

早くコロナが納まってみんなが笑ってお雑煮のお膳が囲めますように。昆布巻の昆布は業務用の高さ1m20pもあるのを仕入れました。お年賀状を作って新年を待ちます。
posted by ヨシミ at 20:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月28日

秋の日に染める事と戦争と

秋も深くなり季節は霜降、霜始降(しもはじめてふる) 霎時施(こさめときどきふる) 楓蔦黄(もみじつたきばむ) そして立冬を迎えます。金木犀が香り台風も難なく過ごし、今年の果物の収穫を楽しみにしていたのですが、暑さと雨続きのため、例年より少なくやっと色付いたと思ったらヒヨドリに先を越されてしまいました。近辺の山にも食料となる木の実が少ないようで、追い払うのも可哀想で、人間はスーパーに頼ることにしました。来年を待ちましょう。畑ではトマトもピーマンもまだ実がついています。キャベツも大根も蒔きましたが天候まかせです。花壇は花いっぱいで、その下で先月生まれた白い子猫2匹が戯れ、鶏は順調に卵を産んでいます。そして私はシャツは仕立て終わり、次のシャツの為、染めに専念といいたい所ですが、希望する色が出なくて大困り。大きな羽釜で薪を燃やし玉ネギの皮を入れて一昼夜火の番をして染料をとり、綿を入れて又一昼夜、水洗いして、お日様に干し、藍に入れて黄緑を作ろうとしたのです。ところが濃緑になってしまいもう一度やり直し。秋がもっと深くなり、木枯らしが吹く前に、庭の剪定したユズの枝とドングリの枝を燃やして竈でグツグツです。来秋の個展に間に合わせるように…。コロナの事も忘れます。しかし先日、初めてインフルエンザの予防注射をしました。高齢者だからです。その医者の慎重なこと。注射後30分も付き添いつきで待機させられました。なるほど生年月日を見たら超高齢者です。戦争を知っているのですから。

火を燃やしながら考える事はやっぱり政治の事であり、世の中の人々の事であり、これからの時代の事です。コロナでいろいろなキャンペーンをやっています。けれど「本当に明日の食べ物に困っている人々に役に立っているのかしら」と思うし、各地で出している買い物クーポン券だって、余裕がなかったら申し込めないでしょうし…(ここ山口市も一万円で三千円のおまけがつき、ひとり十万円迄となっています) 政府はどこに焦点を当てて政策を組んでいるのでしょう。旅行だって会食だって夢のまた夢の人がたくさんいるのです。不妊治療よりも現在育てている赤ちゃんのミルクが買えない人々がいるのです。私はあまりにも政府が新しい事を打ち出して「自助」だと叫んでいる事に恐さを感じます。学術会議の事もです。戦争を知っているからです。あの時代でも富める人は沢山いました。世の中平等にはならない事はわかっています。けれどです。

私事になりますが、私の兄弟5人のうち元気なのが2人になりました。3才上の兄は、文学における戦争の語り部としての役割を感じ、過去を知り現代に目を向け、未来に及ぶことが人文科学者の使命と信じ「草莽の防人歌、万葉のわだつみの声をきく」を出版しました。軍事教練を受けさせられた最後の学年である兄と、集団疎開に群馬県の山の中に親から離されて行った私との戦争は、どうしても忘れられない事実なのです。今年も戦争に関する記事をどこのマスコミも募集していました。その度、布団の話をし、シャツの話をするのですが、爆弾でも引き揚げでもない話は関心を持ってもらえません。闇市もララ物資も今の豊かな生活からわからないのです。10才の女の子にどれ位貧しさと惨めさを与えたことか。シリア難民がコロナで臓器売買までしている事実。みんな戦争なのです。しかしちょっと嬉しかったニュースは核禁止条約が50ヶ国に達したことです。これから日本はどうするか、目が離せません。

友達が「いったい何に熱くなっているの」と聞きます。シャツ作りが私の戦争を伝える事であり、個展を10回までする事だといいます。その後に老後の後始末をします。

今日はよく晴れています。久し振りに布団が乾き、チョコレートの入ったチーズケーキが美味しく焼けました。尤も娘の仕事ですけど…。
posted by ヨシミ at 19:43| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月26日

台風と紅絹の裏地

先日の台風10号は本当にびっくりしました。警報が出た段階で窓という窓、全部ベニヤ版で目張りをし、10枚続きの板の雨戸をヨイショ、コラショと閉めました。勿論懐中電灯は各部屋にぶら下げトイレにもちゃんと置きました。浴槽には水を張り5本の魔法瓶に熱湯を満杯にし、これで大丈夫かなと思案しながら鶏小屋の屋根の波板を打ち直しました。もう灯籠も築山もかまっていられません。じっとテレビの画面に見入ってました。通り過ぎました。猫も鶏もトマトもピーマンも全部無事でした。電気も消えませんでした。その後の始末が大変。ベニヤ版を外し雨戸を開けて、よい訓練になりました。

お彼岸も過ぎてもうすぐ寒露です。蟄虫坏戸(かくれたるむしとをふさぐ) 水始涸(みずはじめてかれる) 鴻雁来(こうがんきたる) 菊花開(きくのはなひらく) こうして季節は移り昔の人達は金木犀の香りの中で五穀の収穫をし、冬野菜の種蒔きをしました。けれど私の家の周りは全部田畑が住宅になり、稲刈りの音も耕運機の音もしません。僅か残った畑の草刈りの音だけです。もうそれも聞こえなくなるのは時間の問題です。もしかしたら私の家が一番農家らしいかもしれません。七月に剪定した樹木の枝を全部薪と腐葉土と染色の材料にして使い切ってしまうのですから。昨日雨間を縫って鶏の胸肉1.5s焼きました。大きな竈でダッチオーブンを使ってハーブを敷き詰めて薪を燃やすのです。これが災害時の保存食です。燃え滓の消し炭と灰は貴重品。冬の暖房と畑の栄養と染色の材料であり、捨てる所はありません。エコバッグの事もプラスチックの事もコロナと重なって頭の痛い事ばかりです。こんな年寄りが時勢の事を言うと「暇もある、時間もある、土地もある、ついでに年金もらってお金もあるんでしょう」と言われます。けれど私が40才頃に運動していた時も、同じように言われました。「レジ袋をやめろ」「給食の洗剤を取り替えろ」「無農薬のミカンを使え」「いりこ3匹食べさせろ」みんな自分達の子供の為に旗を振りました。その事が少しは子供達の心に残ったでしょうか。「出前が多くなったからプラが増えた」と言います。その容器を使う業者、それを生産する会社、それに加えて出前を使わなければならない家庭の事情、みんなどこかで結びついて経済が成り立っているとすると、修正するのは個人の力じゃなくて政治の力かもしれません。コロナというウイルスによる炙り出された生活の一面なのでしょう。年寄りだからといって手を拱いていられますか。

シャツは織り終わって次の作品にとりかかっています。今度の個展にもう一度、裂き織りのコートを陳列しようと、糸作りにかかりました。材料は全部絹、母の着物の胴裏と八掛ですがそのボロなこと。縦にも横にも裂けず、ちぎれてしまい、そっと薄糊をつけて縒りをかけてどうにか纏めて糸にしました。90年近く経た着物であり、戦後辛うじて残った品なのでしょうか丹精して何度も仕立て直しては接いで洗い張りして薄くなって、縫い糸の方が強い状態でした。その着物を着ていた母の顔が目に浮かび、もう私の年位の時は針も持てなかったと思い、まだまだ針も持てるし文句も言える自分がとても嬉しくも思いました。まだ裂き織りのコートのイメージは湧きません。胴裏は白ばかりでなく、昔は「紅絹」といって紅花をもんで染めた絹布を裏地に使っていたので朱紅でした。(勿論、大体は本当の紅花染めではありません) その紅絹裏は水に浸しても汗がついても色落ちして、困りものでした。裂いても手が染まり何十回も湯水に浸し糸にしました。扱い難い事この上なしです。私の着物に紅絹裏は使ってありません。時代の流れでしょう。尤も娘の振り袖には使いましたけど…。

秋になりました。袷3枚裾が傷んだので仕立て直しです。台所ではりんごを煮る匂いがします。アップルケーキでしょうね。
posted by ヨシミ at 23:33| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月24日

終戦の日に

暑い日が続きました。みな様、お会い出来ませんけど、お元気ですか。やっと今日、少しだけ気温も下がりホッとしています。季節はもう処暑で、綿柎開(わたのはなしべひらく) 天地始粛(てんちはじめてさむし) 禾乃登(こくものすなわちみのる) そして白露です。

再び終戦の日がやってきました。もう75回目。私が10才の時ですから。この日がやってくる度、何回このブログに戦争の事を書いたでしょう。そして新聞もラジオもテレビも「忘れてはいけない」「語り続けよう」と特集を組んでいて、先日も戦艦大和の壮絶乗組員の証言を3時間にわたって放映していました。若い時代の人達はどんな思いで見ているでしょうか。私のように東京生まれで、集団疎開にも縁故疎開にも行った人間でさえ、戦艦大和の撃沈の様子は一瞬のドラマのようで、それが戦争とか平和には結びつかないのです。多くの若者が国の為という名目で、命を失っていった事に対する痛みは感じます。それよりも、ドラマの中に出てくる、多分、位の高い兵隊さんが、故郷の母親に「氷砂糖」を持ってきたり、山盛りの「オハギ」を食べさせたりする場面に目が吸い付きました。そして敗戦です。戦時中よりも戦後の方がどれほど小学生だった私の心に影を落としたことか。「氷砂糖」も「オハギ」も夢の又夢です。明日食べる「米」さえないのですから。半日も並んでも大根の葉1枚も買えず、隣の豆腐屋の「オカラ」一椀も買えません。それが敗戦国の現実です。着る物なんて全部お米に変わり、下着も1枚きり。洗濯した事も覚えていません。けれど、その頃でさえ、豊かな暮らしをしている人は大勢いました。チーズ玉になった大きな毛糸の山、一反ごとの木綿の布。その頃街の電柱には女性の候補者のポスターや、共産党のポスターが貼ってありました。ミカン箱を持って新制中学に通う道すがら、心躍らせたのです。そんな事、わからないでしょう、今の若い人々には。そろそろ戦中でも戦後でもない中間の人達、一番敗戦を身をもって知っている人間もいなくなります。メディアはドラマの中の事でなく、事実を拾っておく必要があるのではないでしょうか。7人家族が敷き布団3枚に井桁を組んで寒さを凌ぐなんてわかりますか。物の豊富な今、こんな事、書く必要ないのでしょうね。それでもここに一人、布団がもったいなくてシャツを作っている人間がいるのです。もうすぐ織り終わります。何枚目だか、多分200枚は過ぎているでしょう。

畑では雨が続いてのカンカン照りで野菜達も大きくなってよいやら、縮こまっていいのやら、ピーマン類はものすごく元気ですがキュウリが何回植えても実がつかず、少々あきらるの状態。トマトは大きくならず、小指の先程のミニトマトです。娘が秋野菜の種を蒔いています。今年は築山の灯籠の下に小さな花が秋に先駆けて咲いています。サルビア、イパネマです。
posted by ヨシミ at 21:34| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月26日

梅雨の日に2

熊本豪雨で被害に遭われた方々、どうしていられるでしょうか。ここ山口県は中国地方とはいいながら九州に近く、知人もたくさんいます。毎年季節の果物を送ってくださる方、昔ながらの技法で菜種油を絞って何十年も我が家の食卓を楽しませてくださっている油屋さん、川で釣った魚を甘露煮にして川魚の美味を味わわせてくれた方、みなさんご無事でしょうか。お見舞い申し上げます。

季節は大暑、桐始結花(きりはじめてはなをむすぶ) 土潤溽暑(つちうるおうてむしあつし) 大雨時行(たいうときどきふる) そうして8月7日はもう立秋で、この時期強い日光と夕立で植物の生長がめざましく、葉や実が茂り、夏野菜が旬を迎える筈なのにどうでしょう。日照不足で野菜が大きくならず、ナスもキュウリもトマトも駄目で、辛うじてミョウガが食事の主役になっています。我が家の畑だけではなく、スーパーの野菜の高値のこと。我慢の一時です。こんな時こそ冷凍庫の出番で、高菜の漬け物、キャベツの丸ごと、ニンジンの割干し、フキの下茹、ソラ豆もエンドウ豆も、何でもあります。昨年のトマトもキュウリもあります。これで雨が上がったら、ナスもカボチャも仲間入りする事でしょう。野菜の事もわからないと思っていたら、魚の事もわかりません。その日その日で大漁だったものを買い求め加工しておくより仕方ありません。ここは温泉街で旅館も多く、若い男の人が仕入れのため籠一杯タコを買ったり、イカを買ったり、昨日はサバを20匹位求めていたので、私も真似して、きっと新しく値段も手頃なのだろうと思い10匹買ってきました。1匹59円。家計簿によると昨年は255円でした。料理屋さんじゃあるまいし、どうやって加工して保存するか、その日、1日の大変だったこと。おかげで10日分の食糧ができました。猫も鶏も大喜び。娘曰く「暇があるからこんな丁寧な事できるのね」その通り。何につけても自分の納得のいくまで注意を払って丁寧な仕事をしなくては決して満足のいく物は出来ないものです。

私の仕事場ではやっと緯糸も決まり織りの作業に入りました。経糸7色、緯糸8色の組み合わせで格子にしましたが、やはり桜の枝とビワの葉の淡い色はおとなしく、藍と紅と黄の強い2oの線に救われた様子です。こうした僅かな色の配合が全体の決め手になる事は何百枚織っても難しく、思わず2021年春夏パリミラノコレクションに目が留まり溜息が出た始末。どんな格子もただ美しいだけでなく遊び心も安らぎも、着る人が笑顔になる、そして実用性のあるチェックでなくてはならない、そこに私が何十年もの間、着物を通して培ってきた美に対する意識の集大成があると信じて、残る十年間、機に向かっていこうと雨を眺めながら決心を新たにした事です。何ごともすぐ結果が出ない事はわかっています。それが証拠に7月から始まったレジ袋問題です。今から40年位前、小さな田舎町の焼却炉問題で生活学校を立ち上げ、プラ問題にかかわりました。スーパーのレジ袋の枚数を調べ廃止に取り組み、レジ袋の代わりに壊れた傘で袋を作ることを進め、その運動で県代表で労働省(当時)からも表彰されました。しかしそこで終わりました。まだ時期尚早だったのでしょう。しかし運動の首謀者だった私は、すっかりプラ製品が嫌いになってしまいました。まあ、運動とはこんなものでしょう。その時貰った記念品の時計は、昨年まで仕事部屋の柱にかかっていました。

詳しくはこちら
労働相表彰
レジ袋

梅雨の最中、コロナも加わって家の中で過ごす時間の多いこの頃、活字に親しみ、手仕事に精を出し、ちょっとの晴れ間に庭に飛び出し、タイタンビカスの真っ赤な大きな花を愛で、猫の尻尾を引っ張る、まあこんな生活も良しとしましょう。いつかは晴れることを信じて。
忘れてました。ケーキが焼けました。鶏の初卵のケーキです。
posted by ヨシミ at 13:06| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月27日

梅雨の日に

少しずつ日常が戻ってきたかと思ったら、もう夏至も過ぎ、梅子黄(うめのみきなり)、乃東枯(うるきかれる)、菖蒲華 (あやめはなさく) 半夏生 (はんげしょうず) そして小暑になります。今は梅雨の真っ最中、強い雨雲がかかっていますが、被害が出なければと願っています。それにしても今年は梅が不作だったのでしょうか、我が家の梅も掌に乗る位だと思ったら、20s見つけたのがやっとでした。梅干と酢漬けにして梅肉エキスは来年の仕事にします。畑ではカボチャもキュウリもトーガンも、みんな勝手に大きくなってしまい、蔓の誘引に大童。おかげで最後の機会と楽しみにしていた日蝕の事をすっかり忘れてしまい、後悔先に立たずでした。次の時はどうなっていますか…。

仕事場では次の個展のための経糸を計算し整経し機にかけ終わりました。細かい仕事の連続でちょっと背中を骨折した事もあって不安でしたが難なくです。次は緯糸の染めにかかりましたが、桜の小枝を1日中、大きな竈で煮詰め、綿を入れて又1日中染めたのですが、あまりにも淡く、その上にビワの葉を同じように煎じ染めてみたら、やっと薄いビワ色と桜色の混合した地の色ができました。これを紡いでやっと機の前に座れます。6回目の個展の為にと思うと、ちょっと気分も新たになり、テーマは何にするのかと思ったり、シャツだけでなくどんなタペストリーを飾ってみようかとか、苦労より楽しみが増えます。今までの5回はただ夢中でしたが、これからの残り5回は人生の集大成です。さっそく経糸に使う木綿糸を6s、2年間分注文し、客用布団の残り2枚のうちの1枚を解し、染めにかかりました。多分もう1回経糸を6s注文し、残りの布団を解したら、個展も終わりを告げるでしょう。こうして1960年代結婚の時、母が仕立てた婚礼布団は200枚余りのシャツに生まれ変わり、娘の手に渡ります。母も喜んでいることでしょう。

「もったいない」も「リサイクル」も単にお題目だけでなく「使えて、美しい物を目標にしなくてはならない」が一貫して私の主張です。建築家の隅氏もこれからの建物について「箱ではなくて人間が住める美しいもの」と語っていられました。コロナによって人それぞれの立場で考えられた事は多くあるでしょう。インドでは綿花の需要が減って経済的に打撃を受けているとか。日本でもパリコレの縫製を手掛けていたメーカーが減益で困っているとか、何故コロナと関係あるのかと不思議に思う事ばかりです。メバルが1匹195円です。大きくて30pもあったでしょう。2人で食べても食べきれません。猫にも鶏にもお裾分けです。その代わり、大根1本200円にはびっくりです。

我が家に新しい家族、鶏5羽が入りました。だいたい卵を1年産んで寿命は3年、雄はその倍位生きます。今朝小さな小さな卵を産みました。まだ雨粒も知らなくて、鯛の目をつついています。
posted by ヨシミ at 21:00| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月25日

五月晴れの日に

コロナ、コロナと騒いでいるうちに季節はもう小満も過ぎ芒種を迎え、まさに麦秋至(むぎのときいたる) 螳螂生(かまきりしょうず) であり、腐草為蛍(かれたるくさほたるとなる) 梅子黄(うめのみきなり) となり、夏至になります。旧暦5月は「僻邪(へきじゃ) の風が吹く」といわれ病害虫が発生しやすくなると言い伝えられてきましたが、その通り、我が家の畑のキャベツは虫だらけ。毎日、朝夕に青虫を捕獲していたのですが、もうお手上げの状態。仕方ないので少し大きくなったのを収穫し、水に浸けて虫を退治してから冷凍しました。きっと盛夏の頃にはサラダの絶好の材料になるでしょう。しかしこの話には続きがあって、昨日大量の生ニンニクを仕入れ、皮を剥いて、その皮を畑のキャベツの間に散らしておいたら、モンシロチョウが寄りつかないのです。その匂いが嫌いなのか、お気に召さないのか、それとも花壇の花の方が似合っているのか、よくわかりません。なにしろ我が家の畑は、イチゴもニラもアップルミントもフェンネルも、ありとあらゆる植物が混植状態で、その中にトマトもナスもキュウリもあるのです。お互い喧嘩したって仕方ありません。厭だったら勝手に根が好きな場所に移動するだけです。それが証拠に、ユズの木の下のフキが今年は柿の木の下に引っ越してしまい、安住の地なのでしょう、もう毎日、穫っては茹でて、冷凍するのに追われています。

こんな外出禁止といわれている日々、呑気な話ですが「へぇー」と思う事もあります。週1回の常の買い物の日に、魚屋で見つけた物は、大きな150円のサバ、290円のズワイガニ、380円のチヌ…。どれも新鮮で大きくて到底2人では食べ切れない…。それに普段だったらとても手が出ない値段…。温泉街の料理屋の閉店のためでしょうか。こんな田舎町にも影響はあるのです。喜んでいいのか、町がさびれていくのを目の当たりにしてみて悲しんでみるのか、どちらにしても早く平常に戻ることを祈ります。

絵本「こっちゃんとたのしいせいかつ」の評判は上々です。「装丁が丁寧で美しい」と言われるのが一番嬉しい事です。何でも作る仕事に携わった時に「自分の力を出し切っても美しい物を作らなくてはならない」というのが信条ですから。その上「今の時代にぴったり」とまで言われると、もう欲が出るもので、自費出版の100部は少し足りなかったかなと残りを眺めています。

今日も工事の音がしています。耕運機の音でなく、コンクリートを打ち込む音です。我が家の周りは30年前引っ越して来た時、田畑の中に2、3軒の日本家屋が並び、垣根もなく道路沿いに畑も花壇もあり、広々とした一面の水田があるだけでした。それが高速道路が出来、インターまで出来てしまうと、水田は全部宅地になってしまいました。ガソリンスタンドが出来、コンビニが出来、何軒もの有料老人ホームも出来、便利になったようです。けれど崩れかけた空き屋はあります。子供達が虫を追いかけていた原っぱはもうありません。いくら「密」はいけなくて「外出自粛」といったって、広くない家の中で子供達はどうするのでしょう。せめてお庭があって、お花が咲いていて、と思うのですが、今の世の中、贅沢なのです。マンションに住んでいたらとても無理です。
医院もたくさん出来ました。年を重ねたら医者に通って老人ホームに入るのが定番になるでしょうか。ちょっと違うと思っている自分がいるのですが…。

青空の下で、桜の枝を染めます。そして「こっちゃん」に淡い桜色のシャツを着せます。どうぞお楽しみに。
posted by ヨシミ at 22:52| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月24日

個展が終わって

個展が無事終わりました。開催して2週間、もう感染の心配はないでしょう。本当に一の坂の桜が満開で天気は上々、桜見物の方々が連なって見に来てくださいました。この度の個展に関しては娘が宣伝方々広報の仕事を受け持ったからか、新聞にもテレビにも取り上げてもらい、旧知の友達の顔が大勢みられてびっくりするやら懐かしいやら…。残念な事に遠くの知人にはお逢いできませんでした。前日の会場の飾り付けから後片付けまで5日間、体が保つかなと不安をかかえながらの仕事でした。というのも、みな様に「85才ですか」と言われ、自分の年をこんなに思い知らされた事はなかったのです。前回は何とも思わなかったのに。今回は作品が大き過ぎました。100号と150号の絵5枚と、タペストリー7枚、1pの狂いもなく陳列することの難しさ。業者は2名頼んだのですが、やはり主導権は自分達ですから。会場の模型を作って何回も頭に叩き込んでの設置でしたが、何と難しかった仕事だったか。その代わり楽しい3日間でした。「こっちゃん」「あまねちゃん」「ごうちゃん」「ひろしくん」とお互い、50年も前の子供の名前を呼び合いました。「いりこ3匹運動」も「ぬか袋運動」のことも、「レジ袋いりません」の事も「かさの袋」の事も、みんな遠い昔の運動を覚えていて、大きなタペストリー「大脱走」を撫でていました。至福の時でした。

5日間も昼間留守にしていたのに、畑も花壇も知らん顔、キャベツは大きくなるし、豆の花は盛り、三つ葉は穫り切れないし、フェンネルの茎が玉ネギより大きく肥大化し、苺の花も咲いてました。花壇なんて何の花かわからず、娘に聞いて廻る始末。猫も鶏もお留守番ができました。又、来年の秋です。さっそく染めにかかります。

季節は「清明」「穀雨」「立夏」へと続きます。虹始見 (にじはじめてあらわる) 葭始生 (よしはじめてあらわる) 霜止出苗(しもやみてなえいずる)。夏野菜の植え付けが間もなくです。全国で最低に近い地価だからでしょうか、畑も田んぼも次々となくなり住宅地になっています。もう田植えの時になっても耕運機の音ひとつしません。時々これでいいのかなと思って眺めていますけど。

昨日今日のテレビはコロナの事ばかりです。地球環境が変わり、温暖化が進み諸々の事が重なっての事だと学者の先生は解説し、そして全て発展至上主義であり、経済が人に売り易い物を作ってきたからであり、自給自足という根本を忘れてしまったから、今の右往左往があると主張しています。難しい理屈はさておき、本当のような気がします。

今度新しく出版した絵本「こっちゃんとたのしいせいかつ」も奇しくもそんな所を目指しているのではないかと作者の後書きを読み思っています。学校がお休みでも楽しい事はたくさんあります。「こっちゃん」の絵本を開いてみてください。ゲームだけではありません。台所にも、窓の外にでも、青い空にも、街路樹のイチョウの木にも、お隣の桜の葉にも、おもしろい物がたくさんあるのです。今度の個展にちびっ子達が来て、150号の台所の絵の前で「ケーキが焼けるぞ…」と騒いでました。猫が咥えていた大きな魚を「くじらだ」と言って隣のおじさんに「さばだよ」と教えてもらっていました。まだまだこの地球上にはおもしろい事があるし、生活の中にも知らなかった事があります。この機会にゆっくり身の廻りを見回しましょう。大人達は適応する生き方の模索が課題になるのでしょう。

私は2ヶ月以上つけていたコルセットがとれて、いよいよ次の作品に始動です。1日も早く終息しますように。東京からのお客様達を安心してお迎えできますように。
posted by ヨシミ at 00:15| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする