2021年03月29日

娘といっしょに

春分も過ぎ、季節は清明、穀雨へと続きます。桜始開 (さくらはじめてひらく) 雷乃発声 (かみなりすなわちこえをはっす) 玄鳥至 (つばめきたる) 鴻雁北 (こうがんかえる) この季節、カレンダーは旧暦の春夏秋冬、即ち立春、立夏、立秋、立冬を24区分して24節気、さらに三分割して72候とし、気象や草木、花、鳥、虫、動物たちの動きを記録したもので、源流は紀元前の中国の春秋時代前期にあるものを、日本の風土に合わせて改訂され伝えられたようです。今年のように寒暖の差があり、桜が早く咲いたり、大雨になったりでは当て嵌まらない事の方が多いようですが、季節の移ろいを感じ取るようなものです。

我が家の小さな畑でも菜花が満開になったり、冬大根が大きくなり過ぎたり、高菜を漬ける時が来てしまったり、駆け足で季節は通り過ぎて、もう収穫に大忙し、というより干したり、漬けたり、幸せなことに鶏が4羽、手伝ってくれます。ただし、この鶏、紫キャベツの外皮がお化けに見えたのでしょうか、寄りつくこともしませんでした。普通のキャベツは大好物ですのに。夏野菜の準備も怠りなく、こちらは娘の仕事でせっせと種蒔きですが、温度管理が難しく、入れたり出したり、苗を購入した方がよっぽど確実でしょうに。まあ、トマトジュースが出来るのを夢見て待ちましょう。昨年は秋に青いトマトが残ってしまい、ジュースにもトマトピューレにもなりませんでした。

花壇の方は春の花が咲き揃いました。それと椿が例年になく花をつけ、うれしい限り。この家に来て30年、6本しかなかった椿の実を育て、もう20本以上になり、全部異なる花をつけています。濃紅色に白覆輪の一重筒、暗紅色の一重筒、この花は多分、ピンクの侘助からのものと思われ、中輪咲の一重筒のピンクは大きな白と雛の宴とのものでしょう。まだ咲いていない木もあります。来年はもっと楽しみです。

私の2階の仕事場ではまだタペストリーが仕上がりません。この機にかかりっきりになっていると、シャツの機も着尺の機も埃をかぶっています。今迄この種のタペストリーは何枚も織ってきましたが、これほど細かく難しいもの物はありませんでした。自分の力の限界かなと思いながら、1日5時間、まあ「仕上がりをご覧じろ」というところです。動きのある子供達の姿を織った時は360人位平気でした。それがただ四角の色紙の重ね織には少々です。しかし桜が満開になる頃には桜色のシャツの経糸がかけられるかもしれません。

この頃の世の中「どうしてかしら」という事が多くて困ります。政治の事も経済の事もコロナの事も、果ては自分の事も。小学生の算数だったら、まあ答があります。けれどです。食事の度に娘に「〜かしら」と言うと「答はありません」と拒否され、「わたしの言葉の中に『〜かしら』はありません」と言います。東京で使っていた女性の言葉だからでしょう。こちらに移って60年も経つのに言葉はまだ東京のものです。娘は山口で生まれ、そのまま山口に住んでいるのですから、どうしても私の言葉の端々の機微の所がわからないのです。それでも一緒に暮らしています。先日は「いい物を買ったのよ」と言うので、聞いたらバナナの苗でした。寒冷地でも出来るそうで。ニュースではバナナが病気になり枯れ、収穫が少なくなったという事でした。1種類の作物を続けて沢山作るので、すぐ蔓延する…予防は今の所なく、輸入にも響くとのことでした。その頃には「こっちゃんのバナナ」が食べられることでしょう。SDGsの一つとしてダウンジャケットの中を鳥の羽ではなく、ペットボトルとカポックの実から作るという話を耳にしました。一方、木綿わたから作った胴着の宣伝もありました。そしてコンビニでは使い捨ての下着ではなく、オーガニックコットンの上質の下着を売り出すとか…。私の作る、こっちゃんのシャツは、何に属すのかしら。
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2021年02月26日

いろいろなこと

びっくりするような暖かさです。もう庭の紅梅も白梅も満開です。ニュースでは防府の天満宮の梅の下、可愛い稚児さんの舞う姿が映し出されていました。季節は雨水も過ぎ、啓蟄、春分へと移ります。霞始靆(かすみはじめてたなびく) 草木萌動(そうもくもえうごく) 蟄虫啓戸(すごもりむしとをひらく) 桃始笑(ももはじめてさく) 菜虫化蝶(なむしちょうとなる) 雀始巣(すずめはじめてすくう) 桜始開(さくらはじめてひらく)となり本当の春になります。

昨年の今頃は個展の準備で大忙しでした。それに加えて背骨の事故でギブスをつける事になり、コロナの恐ろしさもある上の準備でもう大童。過ぎ去ってみると強行してよかったと思っています。とても今年だったら駄目でしょう。コロナが静まって世の中が平穏になったら開きましょう。来年の秋にはもう…と思っていますけど。準備は着々と進めています。作業場で織っている色紙重ねのタペストリー、6mまで織って一応ストップしました。あと半分6mは色調を変える事にして白を基調にしてみます。とにかく難しい仕事です。会場には壁面に横に飾ってみます。その下に娘の絵を計画しているのですが、どんな絵が出来るでしょう。あまりにもタペストリーの色数が多いので…。若い時から日本各地の現存する織物を見、人間国宝といわれる方々の作品を手にし、もう絶滅寸前の紫も目にし、夜具に使っていた数々の絣を収集し自分の目を養ってきたつもりでも、さて自分の作品をと思うと、なかなかです。娘が今春のファッションの本を貸してはくれたものの、あまりにも豊かな発想にただ圧倒されるばかり。一週間にたった一度だけの買い物の日も天気によって、空の色を見て、着物の色を決め、羽織る物を選んでいるのですが、今日も娘と並んであまりにもチンプンカンプンで、私の方が着直した始末。まだまだ修行が足りません。娘の黒の革のコートの襟元から少し覗くシャツの青い色。それに合わせた私の長着の大島の青が濃すぎたのです。今更ながら年数を経た大島の青と、私の染めた3年前の青、太刀打ち出来る筈がありません。桜の咲く頃には紅花のピンクのシャツに、私はどんな着物を合わせましょうか。明治生まれの私の母が亡くなった年齢になりました。まだそんな事でガタガタしているのかと怒られそうです。生前「女の子でも自分の手に職をつけなければ」とよく言われて育ちました。図らずも一昨日の朝日新聞に柳沢幸雄氏が同じ事を書いておられました。「変わっていく時代の中で、自分らしく食べていける人間にすること」それが教育だといわれるのでしょう。食べていけるかどうかはさておき退屈せず生きていける事を幸せに思います。下手なピアノ弾きと、イラストレーター、この二人の子供達の事はまあ伏せてというところです。

今月はいろんな事がありました。我が家のミカンが寒さが急激だったためか、中身が空の状態でがっかりです。この事もSDGsで考えられた世界食糧計画の一つなのでしょうか。穀倉地帯の水が涸れてしまい、飢饉状態が拡大し、飽食の悪夢が存在する、地球も人も支える食糧システムはどうするのか、身近な所でも卵が高騰しケーキが食べられない、オムライスも手が出ない、それでも鶏は30pにも満たないゲージの中で飼育する、鶏インフルが流行る、そこに大臣の汚職が絡まってくる。「どうなってるの」と叫びたくなります。持続可能な開発目標、2030です。あと9年、しっかり目を開いて生きていきましょう。その頃個展も10回になります。

コロナを「戦争」とよく言います。でもちょっと違うのじゃないかと思います。森をなくし、山をなくし、野生動物を売り買いしたり、すっかり自然破壊してしまった地球上に、コロナが喜んで出てきたのか、それとも怒ってか…果たして自然との共存をどうするのか、楽しみに見守っていきます。半藤一利氏を偲びつつ、コロナ戦争を何と言われるかお聞きできないのが残念です。
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2021年01月26日

新年

明けましておめでとうございます。御挨拶が遅くなりました。今年こそよい年になりますように。

コロナコロナと騒いでいるうちに季節はもう大寒も過ぎ立春を待つばかりです。款冬華(ふきのはなさく) 水沢腹堅 (さわみずこおりつめる) 鶏始乳 (にわとりはじめてとやにつく) 東風解氷 (はるかぜこおりをとく)。先日、柿の枯葉の下に小さな蕗のとうを見付けました。黄色い蝋梅の花も咲きました。水仙の蕾もスミレの顔にも出会いました。野良猫も鶏も元気です。池のメダカも…。春を待っています。でも一番春が待ち遠しいのは人間でしょう。

昨年一年を振り返ってみてもコロナで始まり終息せずに年を越しました。それでも例年通り、新年の御馳走を作り松飾りをし…こんな事やってもいいのかしらと思いながら台所にいました。50年近く台所でお正月の用意をしていると、そろそろ全部娘に明け渡そうかとも思うのですが、まだまだです。でも伊達巻だけは娘の得意分野、堂に入ったものです。あまり誉めたらまた作り続け、恵方巻きの替わりに食べさせられそうです。昆布巻も今年は長さ1m以上あるだし昆布を求めて直径50pもある大きな鉄鍋で2日2晩煮込みお重に詰めました。煮物は一品ずつお酒を煮切って作るのは例年通り、ただ変わった所は金団が多過ぎてどうしようかと思っていたら、娘の作るパイの中に収まったのにはびっくり。このお正月の行事がいつまで続くでしょうか。

二階の私の作業場には元旦から入りました。まだタペストリーは仕上がりません。午前中3時間、午後2時間、5pしか織れませんけど、いつかは終わる筈です。色の組み合わせの微妙なこと、図形の煩雑さ、もともとの下絵も計算もない仕事、同じ布でも縒りの方向によって異なる姿、さすがに難しい仕事です。さて、このタペストリーが仕上がったら何にしましょうか、中廊下にでも敷きましょうか。まあそれは、次の世代の息子と娘にまかせましょう。これが一段落したらシャツにかかります。コロナで大変な方々が大勢いられるのにこんな事を…と反省しつつの仕事ですが、年寄りが一人でも元気で暮らしているのは強いては国のためと、変な理屈をつけて今日も二階に上がっています。

この一週間寒い日が続き庭のキンカンの実がすっかり凍ってしまいヒヨドリも食べられなくなりました。キャベツも残り少なくなり、まだまだ冬は続くのに何を食べるでしょう。近所の農家はすっかり耕作放棄地になり、サギに続いてヒヨドリさえ来なくなるのでしょうか。

感染を怖がって外に出ないのも限度があります。家の中では仕事着にモンペで台所と作業場と畑をうろうろしても何も始まりません。きちんと白足袋を穿き着物に着替えて買い物にだけは行きます。マスクを付けて。離れている家族が元気なのが何よりです。それにしても息子の話に娘の絵、ネットで見る「パパのラッカセイ」というお話、なんでしょう。
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2021年01月22日

パパのラッカセイ

【ご案内】

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息子と娘で絵本を作りました。
デジタル絵本、
どなたでもご覧になれます。

緊急事態宣言の中、
少しでもお楽しみ頂けたら幸いです。

デジタル絵本【パパのラッカセイ】

関ヨシミ
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2020年12月23日

年の暮れ

寒い日が続き、池の水も凍りました。東北北陸の大雪、想像に余り有ります。どうぞコロナ禍も重なりお体お大切になさって下さい。もう冬至です。乃東生(うるきしょうず) 麋角解(さわしかつのおる) 雪下出麦(ゆきわたりてむぎのびる) そうして小雪、大雪と進み立春へと向かいます。立春の頃には梅の花も満開になりウグイスもメジロも来るでしょう。そしてコロナが静まってくれるといいのですが…。今年の新年にかけての願いはただそれだけ。年賀状を例年の如く作っていますが、ちょっと趣向を変えてみました。どうぞお楽しみに。

畑では、さすがに青いトマトは全部穫ってしまい、エンドウ豆を蒔き白菜も収穫し始めました。その青いトマト、暖かい所に置いたら赤くなるかしら…と思っているのですが、まあ無理でしょう。鶏も食べません。炒めたり、おなますに入れたりして食べてしまいます。「やっぱり昭和一桁生まれはすごい」って娘に言われますけど、丹精込めて作ったトマトです。自給自足です。食糧が不足したら一番最初に困るのは庶民です。田畑が宅地になってしまい今迄農家だった人達もお米を買って歩く、その上今年のように害虫と病気に稲がやられて平年より収穫が少なくなった時、値段は上がり生活に響いてきます。コロナ禍で明日の食物にも寝る所にも困っている人々が大勢います。「イートもトラベルも関係ない」とその人々は言います。どうしたらいいのでしょう。やっぱり政治の力ですか。

私の2階の作業場では相変わらず1m35p巾のタペストリーを織っています。色紙重ねの図案で、絹の布地を染めて裂いて、糸車で紡いで50p四方の色紙を織っていきます。一段に少なくとも25色の色を使っていますが、その選択が難しくもあり楽しみでもあり、3時間かけて5pです。あと何日で終わるか見当もつきません。何しろ15mの経糸ですから。これを次の個展に飾ります。これが終わったらこの機で裂き織りのコートを作ります。そして別のシャツの機には緑とピンクの格子を織り白いパンツに合わせてマネキンに着せます。ピンクの色は先日植木屋からカゴシマ紅梅の枝をトラック一杯もらったからです。グツグツお釜で煮て色を出す、そして綿を入れて煮出す、真冬の雪がちらちらする裏庭の真ん中で剪定した雑木の枝を燃やす。燃やした灰は全部畑の中へ…こんな生活しているとコロナ禍のことは忘れます。けれどちゃんと新聞は隅から隅まで読みますし、テレビも見ます。マスクも作りましたしアルコールも用意しました。先日も娘に「コロナになったら、一番先に命の選択されてしまうかもね、年だから…」と言われてしまいました。まあ、ワクチンを期待しましょう。

今年も終わります。この次の個展はいつになるかわかりませんが、東京からのお客様が無事こられる時にしましょう。

来年こそ、よい年になりますように。
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2020年11月28日

循環はファッションにも

暖かいのか寒いのかわからないうちに小雪になってしまい、虹蔵不見(にじかくいれてみえず) 朔風払葉(きたかぜこのはをはらう) 橘始黄(たちばなはじめてきばむ) そうして大雪を迎えます。

畑ではトマトがいまだに青い実を沢山つけ、四角豆もおもしろい姿を見せ、まだまだ夏が終わらない形相で蔓に延びている隅でエンドウ豆が花を付けているのにはびっくり。植物自身も今何月か季節が解らなくなっているのかしらと、首を傾げている始末。庭の隅にある50年近く経つユズの実が今年はたった36個。例年だと優に200個は越えましたのに。剪定も肥料も怠りなくしましたのに。まあこれもみんな自然な事なのでしょう。

おもしろい記事を見付けました。朝日新聞11月5日(木)伊藤亜紗氏の利他学事始め「循環はファッションにも」です。ファッション業界がかかえている二つの大きな問題について述べていて、2019年の国連貿易開発会議で「世界第二位の汚染産業」と汚名を着せられたことで、環境への負荷として作られた服の6割が廃棄され、素材に化学物質が多く使用され、染色の過程で出る重金属などが川や海を汚している、それと一緒に労働の問題を取り上げ、最後にノーベル生理学医学賞を受賞された大隅良典先生の「分解は合成と同じくらい重要なんだ」という言葉を取り上げ、生産だけでは社会は成り立たない。ファッションのような身近なところに循環を考える入り口がある。と結んでいられました。

私が頻りに感心していると娘は「美学者」だから上手に文章をまとめているけど…お母さんにとっては、当たり前のことであり、今更なんで…おばあちゃんも、そのまたおばあちゃんもそうだったでしょ、と言いました。いつの時代でもたった一人の抵抗はこんなものだと納得してますけど…。娘は続けて言いました。「手芸として染めたり織ったり紡いだりする人は大勢いるけど、それを実用として着られるまで昇華させたのはお母さん位でしょ。なにしろ布団綿からシャツ200枚だから。もっとも生業にはならないけど」と。すべての事が手軽で便利で安価になり過ぎ、もっと広い視野で考えられなくなっているのです。「レジ袋いりません」の運動をし古い傘の袋で買い物袋を作ったのはもう40年も前の事です。

仕事場では135p巾の機でタペストリーの続きを織っています。古い絹地の裂き織りで、友禅はそのまま柄を生かし、無地は染めながらです。紅絹は藍をかけ、黄色の八掛には粟をかけ、褪せた胴裏にはビワの葉をかけて10pにも満たない四角を織っていきます。仕上がりは10mに達する作品になり壁を覆うことを夢見ているのですが完成しますかどうか、来秋の個展の日まで…。

シャツの製作は目下紡ぐ仕事に集中、シャツ3枚を作るのに綿は1s、5g紡ぐのに30分として100時間。どこでも断捨離という記事が目に留まるこの頃、この時間の使い方はどうでしょう。GOTOトラベルでも関係なく、ただ1週間に1回だけ買い物に行くだけの生活。冬物の着物を用意していたら、3枚の袷の裾廻しが傷んでいました。もう3回も縫い直しをした大好きな着易い品ですが、もうやめようかしらと眺めています。縫い直すにも覚えているか心配になりました。訪問着も留袖も仕立てた腕ですが…。母がこの年には目も悪く編み物さえ出来なくなっていました。

早くコロナが納まってみんなが笑ってお雑煮のお膳が囲めますように。昆布巻の昆布は業務用の高さ1m20pもあるのを仕入れました。お年賀状を作って新年を待ちます。
posted by ヨシミ at 20:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月28日

秋の日に染める事と戦争と

秋も深くなり季節は霜降、霜始降(しもはじめてふる) 霎時施(こさめときどきふる) 楓蔦黄(もみじつたきばむ) そして立冬を迎えます。金木犀が香り台風も難なく過ごし、今年の果物の収穫を楽しみにしていたのですが、暑さと雨続きのため、例年より少なくやっと色付いたと思ったらヒヨドリに先を越されてしまいました。近辺の山にも食料となる木の実が少ないようで、追い払うのも可哀想で、人間はスーパーに頼ることにしました。来年を待ちましょう。畑ではトマトもピーマンもまだ実がついています。キャベツも大根も蒔きましたが天候まかせです。花壇は花いっぱいで、その下で先月生まれた白い子猫2匹が戯れ、鶏は順調に卵を産んでいます。そして私はシャツは仕立て終わり、次のシャツの為、染めに専念といいたい所ですが、希望する色が出なくて大困り。大きな羽釜で薪を燃やし玉ネギの皮を入れて一昼夜火の番をして染料をとり、綿を入れて又一昼夜、水洗いして、お日様に干し、藍に入れて黄緑を作ろうとしたのです。ところが濃緑になってしまいもう一度やり直し。秋がもっと深くなり、木枯らしが吹く前に、庭の剪定したユズの枝とドングリの枝を燃やして竈でグツグツです。来秋の個展に間に合わせるように…。コロナの事も忘れます。しかし先日、初めてインフルエンザの予防注射をしました。高齢者だからです。その医者の慎重なこと。注射後30分も付き添いつきで待機させられました。なるほど生年月日を見たら超高齢者です。戦争を知っているのですから。

火を燃やしながら考える事はやっぱり政治の事であり、世の中の人々の事であり、これからの時代の事です。コロナでいろいろなキャンペーンをやっています。けれど「本当に明日の食べ物に困っている人々に役に立っているのかしら」と思うし、各地で出している買い物クーポン券だって、余裕がなかったら申し込めないでしょうし…(ここ山口市も一万円で三千円のおまけがつき、ひとり十万円迄となっています) 政府はどこに焦点を当てて政策を組んでいるのでしょう。旅行だって会食だって夢のまた夢の人がたくさんいるのです。不妊治療よりも現在育てている赤ちゃんのミルクが買えない人々がいるのです。私はあまりにも政府が新しい事を打ち出して「自助」だと叫んでいる事に恐さを感じます。学術会議の事もです。戦争を知っているからです。あの時代でも富める人は沢山いました。世の中平等にはならない事はわかっています。けれどです。

私事になりますが、私の兄弟5人のうち元気なのが2人になりました。3才上の兄は、文学における戦争の語り部としての役割を感じ、過去を知り現代に目を向け、未来に及ぶことが人文科学者の使命と信じ「草莽の防人歌、万葉のわだつみの声をきく」を出版しました。軍事教練を受けさせられた最後の学年である兄と、集団疎開に群馬県の山の中に親から離されて行った私との戦争は、どうしても忘れられない事実なのです。今年も戦争に関する記事をどこのマスコミも募集していました。その度、布団の話をし、シャツの話をするのですが、爆弾でも引き揚げでもない話は関心を持ってもらえません。闇市もララ物資も今の豊かな生活からわからないのです。10才の女の子にどれ位貧しさと惨めさを与えたことか。シリア難民がコロナで臓器売買までしている事実。みんな戦争なのです。しかしちょっと嬉しかったニュースは核禁止条約が50ヶ国に達したことです。これから日本はどうするか、目が離せません。

友達が「いったい何に熱くなっているの」と聞きます。シャツ作りが私の戦争を伝える事であり、個展を10回までする事だといいます。その後に老後の後始末をします。

今日はよく晴れています。久し振りに布団が乾き、チョコレートの入ったチーズケーキが美味しく焼けました。尤も娘の仕事ですけど…。
posted by ヨシミ at 19:43| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月26日

台風と紅絹の裏地

先日の台風10号は本当にびっくりしました。警報が出た段階で窓という窓、全部ベニヤ版で目張りをし、10枚続きの板の雨戸をヨイショ、コラショと閉めました。勿論懐中電灯は各部屋にぶら下げトイレにもちゃんと置きました。浴槽には水を張り5本の魔法瓶に熱湯を満杯にし、これで大丈夫かなと思案しながら鶏小屋の屋根の波板を打ち直しました。もう灯籠も築山もかまっていられません。じっとテレビの画面に見入ってました。通り過ぎました。猫も鶏もトマトもピーマンも全部無事でした。電気も消えませんでした。その後の始末が大変。ベニヤ版を外し雨戸を開けて、よい訓練になりました。

お彼岸も過ぎてもうすぐ寒露です。蟄虫坏戸(かくれたるむしとをふさぐ) 水始涸(みずはじめてかれる) 鴻雁来(こうがんきたる) 菊花開(きくのはなひらく) こうして季節は移り昔の人達は金木犀の香りの中で五穀の収穫をし、冬野菜の種蒔きをしました。けれど私の家の周りは全部田畑が住宅になり、稲刈りの音も耕運機の音もしません。僅か残った畑の草刈りの音だけです。もうそれも聞こえなくなるのは時間の問題です。もしかしたら私の家が一番農家らしいかもしれません。七月に剪定した樹木の枝を全部薪と腐葉土と染色の材料にして使い切ってしまうのですから。昨日雨間を縫って鶏の胸肉1.5s焼きました。大きな竈でダッチオーブンを使ってハーブを敷き詰めて薪を燃やすのです。これが災害時の保存食です。燃え滓の消し炭と灰は貴重品。冬の暖房と畑の栄養と染色の材料であり、捨てる所はありません。エコバッグの事もプラスチックの事もコロナと重なって頭の痛い事ばかりです。こんな年寄りが時勢の事を言うと「暇もある、時間もある、土地もある、ついでに年金もらってお金もあるんでしょう」と言われます。けれど私が40才頃に運動していた時も、同じように言われました。「レジ袋をやめろ」「給食の洗剤を取り替えろ」「無農薬のミカンを使え」「いりこ3匹食べさせろ」みんな自分達の子供の為に旗を振りました。その事が少しは子供達の心に残ったでしょうか。「出前が多くなったからプラが増えた」と言います。その容器を使う業者、それを生産する会社、それに加えて出前を使わなければならない家庭の事情、みんなどこかで結びついて経済が成り立っているとすると、修正するのは個人の力じゃなくて政治の力かもしれません。コロナというウイルスによる炙り出された生活の一面なのでしょう。年寄りだからといって手を拱いていられますか。

シャツは織り終わって次の作品にとりかかっています。今度の個展にもう一度、裂き織りのコートを陳列しようと、糸作りにかかりました。材料は全部絹、母の着物の胴裏と八掛ですがそのボロなこと。縦にも横にも裂けず、ちぎれてしまい、そっと薄糊をつけて縒りをかけてどうにか纏めて糸にしました。90年近く経た着物であり、戦後辛うじて残った品なのでしょうか丹精して何度も仕立て直しては接いで洗い張りして薄くなって、縫い糸の方が強い状態でした。その着物を着ていた母の顔が目に浮かび、もう私の年位の時は針も持てなかったと思い、まだまだ針も持てるし文句も言える自分がとても嬉しくも思いました。まだ裂き織りのコートのイメージは湧きません。胴裏は白ばかりでなく、昔は「紅絹」といって紅花をもんで染めた絹布を裏地に使っていたので朱紅でした。(勿論、大体は本当の紅花染めではありません) その紅絹裏は水に浸しても汗がついても色落ちして、困りものでした。裂いても手が染まり何十回も湯水に浸し糸にしました。扱い難い事この上なしです。私の着物に紅絹裏は使ってありません。時代の流れでしょう。尤も娘の振り袖には使いましたけど…。

秋になりました。袷3枚裾が傷んだので仕立て直しです。台所ではりんごを煮る匂いがします。アップルケーキでしょうね。
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2020年08月24日

終戦の日に

暑い日が続きました。みな様、お会い出来ませんけど、お元気ですか。やっと今日、少しだけ気温も下がりホッとしています。季節はもう処暑で、綿柎開(わたのはなしべひらく) 天地始粛(てんちはじめてさむし) 禾乃登(こくものすなわちみのる) そして白露です。

再び終戦の日がやってきました。もう75回目。私が10才の時ですから。この日がやってくる度、何回このブログに戦争の事を書いたでしょう。そして新聞もラジオもテレビも「忘れてはいけない」「語り続けよう」と特集を組んでいて、先日も戦艦大和の壮絶乗組員の証言を3時間にわたって放映していました。若い時代の人達はどんな思いで見ているでしょうか。私のように東京生まれで、集団疎開にも縁故疎開にも行った人間でさえ、戦艦大和の撃沈の様子は一瞬のドラマのようで、それが戦争とか平和には結びつかないのです。多くの若者が国の為という名目で、命を失っていった事に対する痛みは感じます。それよりも、ドラマの中に出てくる、多分、位の高い兵隊さんが、故郷の母親に「氷砂糖」を持ってきたり、山盛りの「オハギ」を食べさせたりする場面に目が吸い付きました。そして敗戦です。戦時中よりも戦後の方がどれほど小学生だった私の心に影を落としたことか。「氷砂糖」も「オハギ」も夢の又夢です。明日食べる「米」さえないのですから。半日も並んでも大根の葉1枚も買えず、隣の豆腐屋の「オカラ」一椀も買えません。それが敗戦国の現実です。着る物なんて全部お米に変わり、下着も1枚きり。洗濯した事も覚えていません。けれど、その頃でさえ、豊かな暮らしをしている人は大勢いました。チーズ玉になった大きな毛糸の山、一反ごとの木綿の布。その頃街の電柱には女性の候補者のポスターや、共産党のポスターが貼ってありました。ミカン箱を持って新制中学に通う道すがら、心躍らせたのです。そんな事、わからないでしょう、今の若い人々には。そろそろ戦中でも戦後でもない中間の人達、一番敗戦を身をもって知っている人間もいなくなります。メディアはドラマの中の事でなく、事実を拾っておく必要があるのではないでしょうか。7人家族が敷き布団3枚に井桁を組んで寒さを凌ぐなんてわかりますか。物の豊富な今、こんな事、書く必要ないのでしょうね。それでもここに一人、布団がもったいなくてシャツを作っている人間がいるのです。もうすぐ織り終わります。何枚目だか、多分200枚は過ぎているでしょう。

畑では雨が続いてのカンカン照りで野菜達も大きくなってよいやら、縮こまっていいのやら、ピーマン類はものすごく元気ですがキュウリが何回植えても実がつかず、少々あきらるの状態。トマトは大きくならず、小指の先程のミニトマトです。娘が秋野菜の種を蒔いています。今年は築山の灯籠の下に小さな花が秋に先駆けて咲いています。サルビア、イパネマです。
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2020年07月26日

梅雨の日に2

熊本豪雨で被害に遭われた方々、どうしていられるでしょうか。ここ山口県は中国地方とはいいながら九州に近く、知人もたくさんいます。毎年季節の果物を送ってくださる方、昔ながらの技法で菜種油を絞って何十年も我が家の食卓を楽しませてくださっている油屋さん、川で釣った魚を甘露煮にして川魚の美味を味わわせてくれた方、みなさんご無事でしょうか。お見舞い申し上げます。

季節は大暑、桐始結花(きりはじめてはなをむすぶ) 土潤溽暑(つちうるおうてむしあつし) 大雨時行(たいうときどきふる) そうして8月7日はもう立秋で、この時期強い日光と夕立で植物の生長がめざましく、葉や実が茂り、夏野菜が旬を迎える筈なのにどうでしょう。日照不足で野菜が大きくならず、ナスもキュウリもトマトも駄目で、辛うじてミョウガが食事の主役になっています。我が家の畑だけではなく、スーパーの野菜の高値のこと。我慢の一時です。こんな時こそ冷凍庫の出番で、高菜の漬け物、キャベツの丸ごと、ニンジンの割干し、フキの下茹、ソラ豆もエンドウ豆も、何でもあります。昨年のトマトもキュウリもあります。これで雨が上がったら、ナスもカボチャも仲間入りする事でしょう。野菜の事もわからないと思っていたら、魚の事もわかりません。その日その日で大漁だったものを買い求め加工しておくより仕方ありません。ここは温泉街で旅館も多く、若い男の人が仕入れのため籠一杯タコを買ったり、イカを買ったり、昨日はサバを20匹位求めていたので、私も真似して、きっと新しく値段も手頃なのだろうと思い10匹買ってきました。1匹59円。家計簿によると昨年は255円でした。料理屋さんじゃあるまいし、どうやって加工して保存するか、その日、1日の大変だったこと。おかげで10日分の食糧ができました。猫も鶏も大喜び。娘曰く「暇があるからこんな丁寧な事できるのね」その通り。何につけても自分の納得のいくまで注意を払って丁寧な仕事をしなくては決して満足のいく物は出来ないものです。

私の仕事場ではやっと緯糸も決まり織りの作業に入りました。経糸7色、緯糸8色の組み合わせで格子にしましたが、やはり桜の枝とビワの葉の淡い色はおとなしく、藍と紅と黄の強い2oの線に救われた様子です。こうした僅かな色の配合が全体の決め手になる事は何百枚織っても難しく、思わず2021年春夏パリミラノコレクションに目が留まり溜息が出た始末。どんな格子もただ美しいだけでなく遊び心も安らぎも、着る人が笑顔になる、そして実用性のあるチェックでなくてはならない、そこに私が何十年もの間、着物を通して培ってきた美に対する意識の集大成があると信じて、残る十年間、機に向かっていこうと雨を眺めながら決心を新たにした事です。何ごともすぐ結果が出ない事はわかっています。それが証拠に7月から始まったレジ袋問題です。今から40年位前、小さな田舎町の焼却炉問題で生活学校を立ち上げ、プラ問題にかかわりました。スーパーのレジ袋の枚数を調べ廃止に取り組み、レジ袋の代わりに壊れた傘で袋を作ることを進め、その運動で県代表で労働省(当時)からも表彰されました。しかしそこで終わりました。まだ時期尚早だったのでしょう。しかし運動の首謀者だった私は、すっかりプラ製品が嫌いになってしまいました。まあ、運動とはこんなものでしょう。その時貰った記念品の時計は、昨年まで仕事部屋の柱にかかっていました。

詳しくはこちら
労働相表彰
レジ袋

梅雨の最中、コロナも加わって家の中で過ごす時間の多いこの頃、活字に親しみ、手仕事に精を出し、ちょっとの晴れ間に庭に飛び出し、タイタンビカスの真っ赤な大きな花を愛で、猫の尻尾を引っ張る、まあこんな生活も良しとしましょう。いつかは晴れることを信じて。
忘れてました。ケーキが焼けました。鶏の初卵のケーキです。
posted by ヨシミ at 13:06| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする