2019年10月29日

自然の力

霜降から立冬へと移るこの季節、なんと暖かいのでしょう。72候では霜始降(しもはじめてふる) 霎時施(こさめときどきふる) 楓蔦黄(もみじつたきばむ) とありますが霜はまだ降りていませんし、庭のもみじもまだ青々としています。第一、1年中和服を着ている私にとって10月は単衣から袷に着替える大切な時期なのがあまりにの暑さに逸してしまいました。それにしても霎時施(こさめときどきふる) とあるのは間違いです。台風19号も昨今の大雨も何と説明したらよいのでしょう。「気候変動です」とだけでは澄ましていられない事態だという事は誰もが分かっているのです。早急に政府も国民も一丸となって考え行動に移らなければならない時です。新しい、より精巧な量産コンピューターに計算して答を出してもらいましょう。きっと今世紀末には3度気温が上がり「地球の未来はない」と答えるでしょう。

小さな畑も異変続きです。まだ露地のトマトもピーマンもナスも収穫出来ます。その変わり冬野菜の種を何回蒔いても虫に喰われ坊主になってしまいます。花壇では娘がせっせと種を蒔き球根を植えて春を待っているのですが「ちょっと気温が高過ぎる」なんて言いながら鉢をあっちにやったり、こっちにやったり。花盛りの花壇を道行くお年寄りの人々に誉められたくて、それをまたキャンバスに写すことが最高の楽しみで…。

私の仕事場のシャツ、緯糸も決まり織り始めました。緯糸は全部で12色、淡い色の組み合わせです。中心になっている薄紫は自分でもどうやって染色したかわからないのです。梅の枝、ビワの葉、山桃の皮を煮出した所までは経糸と同じなのですが、その綿の一片が竈の灰の上に落ちた時、それを井戸水で洗ったら紫に変色していたのです。ほとんど媒染せずにいた私にとってびっくり。さっそく全部椿の葉から作った灰汁につけて洗ったら、みごとな紫。今まで紫が欲しくて色々試してはみても、教本通りにはいかず「やっぱり紫は…」と諦めていました。ギリシャ・ローマ時代の服色でも優婉、高貴、優雅、神秘、永久などを象徴し高尚な色として好まれ、日本でも紫袍は一位のものであり、もちろん禁色であったのです。紫根染による紫と異なり「似紫」ともいえないような浅紫ですが、「これぞ植物と灰と水のおかげ」と悦に入っている所です。まあ退色のほどは長年着て洗ってみないとわかりません。今までにない強いアクセントの入らない緯糸の組み合わせは初めてで、全体に淡く春のシャツで、4月始めの個展にはピッタリです。娘はあまりにも淡く全体が一色に見え画けないといいキャンバスには登場しないらしいです。

今年もユズが黄色くなり始めました。柿はほとんど食べ終わり、イチジクも終わり、ミカンを待っています。リンゴは水害に遭った農家の方々が元気に元通りに戻られたら食すことにしましょう。それまでリンゴのパイはお預けです。食物にしても染色にしても自然の威力をつくづく知った一ヶ月です。寒さに向かう時、どうやって生活を立て直すのでしょう。風で落ちたリンゴなら協力して買い加工します。けれど泥水に浸かった農産物はどうしましょう。せめて国がちょっとだけ防衛費から工面して「収穫後の米は…」なんて言わないで、例外を作って手を差し伸べてあげられないものでしょうか。

これから毎年起こる災害かもしれません。今迄通りの予算の組み方では立ち行かなくなる事は目に見えています。メロンを配るより真剣に議論していただきたいのです。年寄りも病気の人もホームレスの人も、車中泊の人も、みんな安心して住める国にです。まあ、無理なんでしょうね。
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2019年09月29日

秋分も過ぎて

白露も過ぎ、秋分も通り、寒露を向かえるこの頃です。玄鳥去(つばめさる) と言い慣わしている通り、ガソリンスタンドの軒先の巣はもう空っぽです。しかし雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ) の方はどうでしょう。先日の台風には直撃され、風も雨もゴロゴロも一緒で怖い思いをしました。雨戸を閉めようにも古い木造家屋では戸袋から引っ張り出すのも一苦労、8枚の板戸のうち6枚だけにしてしまいました。でも無事に終わりました。翌日の庭の大変な事、太い大きなイチジクの木が傾き、杭を打つやらロープで引っ張るやら、この2、3日仕事場に入ることも机の前に座ることも出来ませんでした。未熟なイチジクの実を前にして頭を抱え「何か利用法はないかしら」と娘に尋ねるのですが「おかあさんが食いしん坊で木を大きくし過ぎたから…」と言うばかり。夕方にはすっかり剪定し終わりました。つくづく災害に遭われた方はどんなに大変だったかと思うばかりです。改めてお見舞い申し上げます。

シャツはやっと経糸の染めが一段落しました。植木屋にもらった桜の枝と、ビワの葉を一緒に煮て染め出した色のなんとやさしい色か。紫とピンクと灰色と混ざった薄い色、赤白橡(あかしらつるばみ) とでも言うのでしょうか。本当の赤白橡は、延喜式にもみえる染色であり、明るい灰黄赤、黄櫨染を下染としその上に茜染をかけて灰媒染をして染めたようです。どうしてこんな色が出たのかわかりません。桜の枝は直径3p程のものを10p位にカットして、ビワの生葉と共に煮出しただけで媒染なしです。720本の経糸のうち144本使います。又、山桃の皮とたまねぎを煮出して海松色を作り、288本使います。海松は浅海の岩石に着く海藻で古くから万葉集や風土記にもこの記述はありますが、色彩色としては中古からのようです。偶然の産物のような色ですが3割近く使ったらどんな格子になるのか、緯糸が勝負になるようです。

それにしても36本使う赤が染められないこと。どうしても欲しい色が出来ないのです。母が「娘の頃、赤い色の入った着物が欲しかった」とよく話していました。明治30年代の事です。家で染めた色は茶色、紺屋に頼んでせいぜい藍色、木綿綿に赤が添えられる事はありませんでした。けれど村の「おだいじん」の娘さんは赤と紺の縞を着ていたとか。

10月に入ったら織りに入ります。その前に整経の仕事がありますが、これが面倒で体力が続かなくなったら、シャツ作りも終わりです。台所ではケーキの焼くいい匂いがしています。おやつの時間を楽しみにしてもう一頑張りです。このシャツを作る事が地球温暖化に寄与しているか問われたら何と答えましょう。布団綿を捨てて燃やさないから、少しはCO2の削減に役立っているとでも答えて納得することにしましょうか。国連での16歳の少女の演説を読みました。キラキラ光って眩しい限りです。私達大人は夢中になって便利な物を作り、今度はそれをなくす努力をする…ペットボトルから衣服を作ると企業は胸を張っていう。その衣服は不必要になって捨てられる時、異なる成分になっているのでしょうか。改めて1週間一度出すプラスチックゴミの多さにびっくりします。それから「食品ロス」の削減推進法が施行されるのにも又々びっくり。食いしん坊の2人家族、どこに食品ロスがあるのかと見回した始末。結局あの少女の言う通り「金儲け」にうつつを抜かしてきたのかとも思うけれど、老後の2000万はどうしてなのでしょうか。消しゴムでごしごし消せたらどんなにいいでしょう。ついでに原発ゴミも。
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2019年08月25日

わからない事

雷様にどしゃ降りの雨、ついでに台風の余波の大風と揃ったら、もう庭中駆け回って大童。24節気では処暑です。綿柎開(わたのはなしべひらく) 天地始粛(てんちはじめてさむし) 禾乃登(こくものすなわちみのる) そうして9月8日の白露へと移ります。72候の通り、涼しくなりましたし、稲には穂が出て食欲の秋となるのでしょうが、サンマが穫れないでイワシが大漁だとのニュースにはびっくり。今出回っているのは昨年の冷凍品で、来年にはこの冷凍品も少なくなるとか。理由はいろいろあるのでしょう。我が家の小さな畑も同様で、カボチャもトーガンもキュウリもナスも不作で、昨年の今頃が羨ましくもあり、つくづく「こっちゃんカレンダー」の8月を見てしまいます。物干しの上にも、イブキの木の天辺にも、ヘチマやソーメンウリがぶら下がっています。せめて秋野菜に望みをかけることにします。花壇では例年だと虫に喰われてしまうタカサゴユリが、元気に花をつけ香りを放っています。朝顔も百日草もルコウ草も元気です。キュウリまでも一緒に竹垣に登っています。畑の方のは駄目ですのに…。「全くわからない」と首を傾げるばかりです。

「わからない」のは日韓関係です。こんがらがった糸を1本1本丁寧に解していかなければならないのでしょう。お隣の国なのですから。私なんか、そのお隣の国の言葉も知らないし、テレビに映る諺文さえ読めないのです。1957年(昭和32年) に初めて勤めた学校に韓国の子がいました。勿論、日本名でしたが、北か南かも知りませんでしたし、クラスの仲間誰一人特別にすることなく3年間過ごしました。卒業の時、記念にと民族衣装を着た大きな立派な人形を貰いました。その子が作文で表彰された時には、チョゴリを着た沢山のお母さん達に囲まれ口々にお礼を言われ (意味不明でわからなかったのですが…) 目を白黒して写真を撮りました。今頃どうしているでしょうか。頭のいい子でした。
蛇足ですが、一回りも違うその頃の教え子達が、まだ私の個展「こっちゃんとシャツ展」に毎回顔を出してくれます。その「東クン」の消息が分かるといいのですが…。

シャツを制作し終わって1月経ち、今は私の仕事台の上にはミシンが置いてあり、四六時中音を響かせています。シャツを制作している間は絶対に手を付けない山のようなミシン仕事で、この度は特に、茶箱から引っ張り出した衣類、子供達の小さい服、母が残していった着物、全部解く事から更生する迄、部屋中糸屑だらけになりながらの奮闘です。出来上がったのはモンペ6枚、上張り5枚、ねまきが3枚、大部暑い中、働きました。これは毎年のことですが、今年は特に、知人の息子さんが、母上が亡くなり、新盆を迎えるのに片付けが大変で…と話していられたのが耳に残り、自分の年と、身の回りを眺めた次第だったのです。これだけあったら娘と二人、一年中の畑仕事に庭仕事、それに台所と染め物と、機織り迄、普段着には困りません。その母上も普段は元気に絵を画いたり、着物のリフォームを趣味でやっていられたそうです。それで余計片付けが大変だったのでしょう。「ゴミ」として捨ててしまえば済む事です。何故こんなにも労力と時間をかけてするのか、そんな事自分にもわかりません。世の中には、わからない事が沢山ある事だけは、この年になるとよく分かります。

9月に入ったら本気にシャツ作りです。今年は植木屋がビワの枝を切ったのでそれから始めましょう。これからお正月迄に1枚仕上げ、個展には新作3枚出してマネキンに着せます。個展も5回目になるので、旧作の大きなタペストリーも飾り、3日間開催です。娘も100号を揃えていますし、新しい絵本「こっちゃんと楽しい生活」をお見せします。こっちゃんシリーズ3作目です。どうぞ御期待下さい。
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2019年07月25日

梅雨が明けたら

あれ程雨を待っていたのに、もうたくさん。お日様の顔が見たいこの頃です。昨年のこの時季はもう暑くて暑くて水銀柱も連日上がりっぱなし。さころが今年はまだエアコンもつけていません。24節気の大暑です。桐始結花(きりはじめてはなをむすぶ) 土潤溽暑(つちうるおうてむしあつし) 大雨時行(たいうときどきふる) となり立秋へと向かいますが暦通りにはいかず、あたふたしているのは人間だけではありません。畑の夏野菜も日照不足でキュウリもナスも満足に穫れず、カボチャも茎が傷んで実が大きくなりません。元気なのはニラとイタリアンパセリ、バジルにフェンネル、とにかくハーブ類が茂りミョウガも毎日ボール一杯です。急いで秋蒔きのキュウリの種を買って蒔きました。例年ですと大きなキュウリや皮が固くなったナスが台所にゴロゴロしていますのに。花壇も同様です。娘は苗をあっちに移したり、こっちに入れ替えたり、支柱を建てて可愛がってやるのですがヒマワリは小さく、百合もショボンとしてます。ただ池の中の蓮の花だけが首を伸ばして雨に向かっています。もうすぐ梅雨明けです。どんな天候になりますやら。地球温暖化が影響している事は否めないでしょう。どこから手をつけたらよいのか、子供達に少しでも増しな環境を残したいと思いつつ投票に行ったけれども投票率の低さと「どうせ変わらない」という言葉に唖然としています。便利になった生活、その副産物としての今の状態。元に戻すことなんて不可能な事はわかっていますけど…2000万円問題よりも心に重くのしかかります。

シャツ3枚仕立てあげました。随分今までと異なった色使いだと思ったのですが、やはりどこか和服の匂いのする格子になりました。クチナシの黄色が心配していたよりよい状態に収まり地色のビワの薄橙色を引き立てている事に一安心です。けれど10m織る間に縞の順番を3回も間違っている事が布を広げて裁断する時わかり大童。仕方がないので娘の作業着にする事にし「いろも」で印をつけました。(注 「いろも」とは色のついたシツケ糸の事で使っていましたが辞書には見当たりません) どんな細かい格子であってもあまり間違う事などなかったのですが。まあ年のせいとしておきましょう。要注意です。

梅雨が明けたら次のシャツの染めにかかります。庭中の剪定も終わり裏にその枝が山になっていて、まずニッケの葉とドングリの葉を煮出しビワの葉をかけてみます。それからアンズの枝も山程あり忙しい夏になりそうです。その染めに入る前にダッチオーブンで肉を焼くことがあり、枝と葉を区別する仕事もあり、1日30分の歩く運動なんて夢の又夢です。

忙しがっていられる仕事があって、創るものがあって、お腹がすいて、読む事も書く事も出来て、若い時は何も思わなかった事が今になるとただうれしい限りです。次のシャツにとりかかります。
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2019年06月26日

雨待ちの日に

ここ山口県は夏至を過ぎたのに梅雨入りにはならず、花壇も畑も悲鳴を上げています。菖蒲華 (あやめはなさく) 半夏生 (はんげしょうず) 温風至 (あつかぜいたる) となり小暑から大暑へと続き夏野菜も旬を迎え食卓を賑やかにするのですが、今年はもう店先にはトマトもキュウリもナスも山積みになっています。我が家の畑でも例年になく収穫でき楽しんでいますが、気候のせいでしょうか、カボチャは畑中這い回り、カモミールはナスの間に繁茂し、その間にトウモロコシが首を出し、バジルもパセリもエゴマもズッキーニもオクラも、ついでにゴーヤにトーガン、勿論トマトにキュウリまで、まだまだ両手に余る程の植物が競い合って夏を待っているのですが、果たしてどうなるでしょうか。昨年植えた桑の木に実が沢山つき、タルトの飾りに絶好ですし外仕事の時、口の中へ放り込むのはうれしいものです。小学生の頃、カイコを飼って桑の葉を探して歩いたのを思い出しました。

小さな畑にあらゆる果樹と野菜を植えているので、その世話の大変なこと。ちょっと油断すると鶏小屋の上にサルナシとカボチャと山いもが絡み合ってしまいますし、ニッケの大木の上にトーガンが涼しい顔です。それに染料にする葉を穫り、灰を作るための枝を燃やし、頬被りして長靴を履いて動き回っている姿なんて見られたものではありません。けれど収穫の喜びと、染め上がった満足感は言葉には言い表せません。

シャツ、もう少しで織り上がります。クチナシの黄色と、黒豆の空色、びわの葉のうす橙色、10色の織りなす格子は仕立てが楽しみです。このシャツに白いパンツを組み合わせます。勿論帽子は青とピンクのキャスケット。来春の個展にはチョッキも何か考えます。
あと布団は2枚です。10s以上の綿があります。何年かかるでしょう。1日に紡げるのは精一杯90gです。まあ老後の2000万円問題より私にとっては大変なことです。この綿だけは紡いでシャツに仕立てて、母に報告しなければならないのです。しかし困った事も起こります。井戸水を沸かして黒豆を染めて空色を出していたのが、豆が変わったのか水か変わったのか、ちょっと気に入らないのです。今年あたりは月桂樹の葉も色相が異なるかもしれません。カモミールの花が例年になく大きく、匂いが強くなっていますし…。

令和になってどうでしょう。物騒な事が多すぎます。それに悲しい事も多すぎます。私の兄が7月号の「歴史街道」という雑誌に「下級役人はつらいよ 万葉びとが込めた想い」という論文を寄稿しています。「虐待」も「引きこもり」も「2000万円」の問題もみんな平成から続いてきたのでしょう。もしかしたら昭和か、もっと前からかもしれません。格差は万葉の時代からあったのです。問題が多すぎますし大き過ぎます。ただ「パターを鍬にかえて」なんていう問題ではありません。「老後をどうやって生きるか」という事は、お金の2000万円の事だけでなく「何をして、何を目標にして」という事でしょう。勿論お金がなかったら何も出来ません。「食料の足しに畑を作ろう」なんて唱えても、土地がなかったら出来ません。それに体力がなかったら無理です。都会に住み地方に畑を作ってなんて誰もが出来る事ではありません。これからの時代「令和」という心地よい名称の時代に酔っていてはいけないと思っているところです。自分はあと何年生きているかという所ですが、子供達は違います。「レジ袋反対」の運動をしていた50年前、その運動を続けていたら今のマイクロビーズの問題にならなかったのかと反省しつつ、今のこの混乱した世の中、どうにかならないかと歯軋りしている雨待ちの日々です。
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2019年05月24日

シャツとは

立夏も過ぎ小満を経て季節は芒種になります。蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)というように我が家の裏庭の桑の葉も大きくなり沢山の実をつけています。ジャムを作る日も間近でしょう。まだ小学生の頃、カイコを飼って食べさせる桑の葉を早朝から探し回った事を思い出します。いくら昭和の初期とはいえ東京の町中では滅多に見付かりません。ボール箱の中で繭を作らせ、母がそれを真綿に四角に伸ばすのを見て手品かと思ったのも遠い昔の事です。今、ちょっと飼いたいのですが、鶏と野良猫と花と野菜じゃ手が回らないでしょう。どうせ娘の手が必要なのですから。芒種になると、麦秋至(むぎのときいたる)蟷螂生(かまきりしょうず)となりますが、今年は気温が高いためか「かまきり」も産まれていますし、麦も黄色になっています。「夏至」を待たずに、菖蒲華(あやめはなさく)になるのでしょうか。

夏野菜はほぼ植え終わり、今年は暑いのでナスもトマトも順調に育っていて昨年とは大違いです。エンドウ豆は全部収穫し、袋1つは冷凍し冬に備えました。又、カモミールの花摘みは意外と大変で、大昔の綿摘みとどっちが大変かななんてボヤキながら夕方の仕事にしています。こちらも冷凍し、1年中のお茶に柿の葉やドクダミと一緒に入れて香を楽しみます。しかし旧暦5月は「辟邪の風が吹く」といわれ病虫害が発生しやすくなるので注意しなくてはなりません。自分の庭で野菜を育て果物を収穫しそれで食欲を満たすことは到底難しいことはわかっているのですが、どこまで出来るか、どこの点を市販品に頼るか、それが一番大切なことだと娘と話し合っています。その考えが現在世界中で問題視されているプラスチックの問題でもあり、水の汚染の問題でもあるのです。これから20年も30年も経ったら、海の魚は全部食べられなくなり養殖に頼るようになるのでしょうか。有機フッ素化合物による水汚染の問題も飲み水の状態を早く全国調査する必要があるように思われますし、便利な物を望むだけ危険な場合もある事を改めて意識する時代に入ったとつくづく思います。令和という時代が表面上の平和になりませんように。

シャツは順調に織り進んでいます。単純な格子縞なのですが9色の緯糸を複雑にからませてみると、10pも織り進んで眺めてみて、間違いに気が付くことがしばしばあり「年のせい」なんて歯軋りしています。紡いでいる時も織っている時も何も考えません。ただ只管です。この仕事が「無駄でしょうか」とか「意味を考えたり」「生業になってないのにどうしてかしら」なんて考えませんし、もう「空」の状態です。ところがふと気が付くと娘がシャツを「直」に着ているのを目にしたのです。「おかあさん、このシャツは、ものすごく着心地がいいのよ」といって麦わら帽子に素肌の上にシャツを着て植木の剪定をしているのです。なる程と思いました。以前の個展の時に「寝る時に着たいから」と言っていられた方がいらっしゃいました。その時は評価が下がったと思ったのですが、今になると最高のお褒めの言葉だったのでしょう。風の便りに、今、病に伏せっていられるとか…。もう6年も前の話です。シャツはやはりシャツです。オーガニックコットンであり、植物染料しか使わず、勿論蛍光染料も使わず、縫製の糸も染めて使っているシャツこそ、素肌に着て仕事をしてもらいたいものだし、寝る時に着てもらいたい最高のシャツだと、100枚以上も作って知った状態です。あと10年生きていたら、私のファッションに関する考え方ももっと確実な物になるかもしれません。

今年は単物 (ひとえもの) の出番も早く、6月を待たず着始めました。その1枚に鹿児島の方に送って頂いた青い紬が加わりました。母上が織った品だそうで「もう手を通す事もないから」と言っておられました。早速洗い張りし、単物に仕立て直し、御披露目しました。買い物にはこの上に絞りの浴衣地の上っ張りでも着ましょうか。いくつになっても、着る事は楽しいことです。
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2019年04月23日

可愛いシャツの色

穀雨も過ぎ立夏を迎えるこの頃、平成も終わりを告げ新元号令和になります。霜止出苗(しもやみてなえいずる) 牡丹華(ぼたんはなさく) 蛙始鳴(かわずはじめてなく) 蚯蚓出(みみずいずる) と72候の菜園カレンダーにはありますが、この春は暖かく蛙の声はとっくに聞きましたし、ミミズも畑の隅に顔を出してました。こんな気温が高くて夏野菜の植え付けはどうしたらよいのか、雨が降らず地面が乾ききっています。畑の大根は葉だけ大きくなって薹が立ってしまい、高菜も同じで、仕方ないので大きな瓶に漬け、キャベツも小さいのがゴロゴロ出来てしまいました。もう毎日の食卓は葉ものばかり。おみおつけにも、お浸しにも、炒め物にも、お膾にも、勿論鶏達にも…。さすがに猫達は駄目ですが…。これも神様の思し召しとばかり娘と二人変な納得をして台所で働いています。

裏庭の果樹は元気に新芽を出し、その上、もう老木になった「あんず」が花盛りになったのにはびっくり。何年も実をつけず、もう駄目だと思い、その根元に「桑の木」を植えたのです。細い細い枝を伸ばし、あんずに届きそうだと見守って支柱を作り、肥料を入れて春を待ったら、あんずが回復したのです。桑の実のケーキと、あんずのジャムなんて素敵な贈り物です。この連休には苗の買い出しに行きます。トマトを沢山植えて、トマトピューレを作れるとよいのですが…。これだけは天候次第です。

私の仕事場では次のシャツの経糸がかかり、緯糸を入れ始めました。例のように経糸は18色、1色が1pのと5oのと。緯糸は9色、全体に淡い色調で、今まで組んだことのないような、「可愛い」格子です。「くちなし」で染めた黄色は非常に透明で可憐ともいうのでしょうか、玉ネギで染めた黄色のように力強くもありませんし、黄蘗とも違います。この「くちなし」で染めた黄色の綿を紡いで、どうにかして緯糸に入れたいと四苦八苦した末、近くに黒豆で染めた淡い「空色」を添えて存在価値をつけました。又、このシャツにはその黄色の上に鹿児島紅梅の枝から煮出した色をかけた「サーモンピンク」も使いました。実際シャツに仕上げてみないとわかりませんが、きっと若い人にうけるでしょう。来春の個展の時の評価が楽しみです。その上、昨年の春、桜の小枝を沢山手に入れ染めたのが淡い薄橙にしかならずがっかりしていたのですが、その微かな色も地の色にして入れてみたのもサーモンピンクに華を添えた感じになりました。どの色も決して無駄なものではなく、それぞれ競い合い、寄り添って楽しませてくれるものだと、つくづく思いました。

シャツを織り始めて30年近くになります。どうしたことか、布団綿があと2枚15sになってしまいました。私が60年前嫁ぐ時母が仕立ててくれた婚礼布団です。客用に仕舞っておいたのですがさすがに重く、暖房のきいた部屋では不用になってしまい、綿を染めて糸にしてシャツを作り始めたのです。ほとんど空っぽになった押し入れを眺め「あと10年、30枚仕立てて、10回目の個展をしたら終わりにしよう」と決心しました。令和10年です。

新元号の令和という言葉を聞いた途端、頭の中では「命令」に繋がってしまいつくづく昭和一桁生まれだと苦笑した次第です。「大君のへにこそ死なめ」と書写し闇市に明日の糧を求めていた「昭和」という時代も遠くなり、一見平和らしくみえた「平成」も終わり「令和」です。ただひたすら平和になりますように。決して命令されて平和なるものに繕いませんように。
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2019年03月27日

クチナシ色

昨夜からの雨で紅梅も白梅も終わりになり、庭中水仙のまっ盛り。季節は春分も過ぎ清明(4月5日)穀雨(4月20日)へと続きます。桜始開 (さくらはじめてひらく) 雷乃発声 (かみなりすなわちこえをはっす) 玄鳥至 (つばめきたる) 鴻雁北 (こうがんかえる) 虹始見 (にじはじめてあらわる)。明治5年まで「日本の暦」として1400年か使われてきた旧暦は24節気、さらにこの1節気を3分割したのが72候になり、日本の風土に合わせた農作業の目安になっていたものです。しかし昨今のように気候が不安定なようでは首を傾げたくなるような事もありますが…。桜の開花を心待ちにし、お花見弁当を開いたり、古巣につばめの来るのを眺め暮らし…我が家でもあんずの薄紅色の満開の花の下で菜花を摘んだり、スイカズラの蔓を誘因し、サルナシの支柱を補修したりで季節に見合った仕事は昔と変わらずあるものです。 畑の方はキャベツもエンドウ豆も育っています。さすがに白菜は終わり。春大根が育ち始めニンジンも大きくなりました。あとは夏野菜の植え付けを待つばかり。

私の仕事のシャツ3枚仕立て終わり眺めています。苦労しました。綿を紫に染めた段階で1回目と2回目で色が少し異なってしまい、紡ぎ仕立てたとこ目立ち展示用にやっと1枚だけとり、あと2枚は娘の普段着です。色合いとしたら渋く、紫と黄色のコントラストがよい作品になったのですが…。それを縫製にかかった時、紫に染めた糸も黄色に染めた糸も駄目で茶色に染めた糸がぴったりしたのには驚きました。何十枚、何百枚制作しても満足いくものは出来ないものです。何歳まで生きて織り続けたら「これは」というシャツが出来るのでしょう。

昨日から「クチナシ」の実を煮出して染めにかかりました。湯田温泉の名園の老舗旅館で採取したもので、大きな釜で2日間燃やし続け綿を1sほど染めたのですが…玉ネギの皮の色相とどれ程差があるのでしょうか。もともとクチナシは生薬名「山梔子、梔子」で消炎、止血剤であり黄疸や吐血の特効薬として使われていたが、染色としては古代から無位の服色を黄と定めていたので、黄蘗、刈安、小鮒草などで染められていたが、クチナシ染の黄色は赤味があるため、皇太子の礼服の色、黄丹にまぎらわしいということで、禁色になっていたというけれど、果たしてどうなるか楽しみなものです。結局、染色とは辿っていくと全部薬草につながっているものもおもしろくもあり、現代の生活の中で最高の贅沢であり、それを煮出す時間と体力と材料がある事に感謝しなければならないと思っているこの頃です。この度の紫色のシャツ3枚も蘇木だから「赤」が染まると単純に考えたのがはやとちりで正倉院古製の中の「亀甲花文錦」の紫褐色はどうも蘇芳による可能性が強いと研究され、そうすると緯糸も茶色でピタリだったことも頷けるようです。
古い布団も残り少なくなりました。染色をしながら文献をひもとき、資料を繰り返し読みながらの仕事ですが、これもまた一興です。

台所ではちょっとかわった匂いがしてきました。どんなケーキが出来るのでしょう。昨夕は瀬戸内で穫れた「手ながたこ」が手に入り、光に当てると動き出し、大騒ぎしてました。この「たこ」も食卓に並ぶ前に娘の画く100号のキャンパスの中に収まりました。ブチ猫と一緒にです。今年の花壇は花いっぱいです。花を育て鶏の世話をし薪を割り猫のシッポを引っ張りついでに親の介護をし絵筆を持つ、忙しい事この上なしと娘はボヤいていますが…、この親ひとつも介護されている気がしません。台所で食事を作るのは私ですから…。今日は一日中雨の予報でしたが雲が切れてきました。クチナシ色の綿を洗いにかかります。どの位とまっているでしょうか。次のシャツをお楽しみに。禁色のシャツです。
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2019年02月25日

食べること

暖かい冬でした。今年は白梅も紅梅も、それにやっと花をつけた蝋梅も散り始めています。毎年たくさん顔を見せるメジロは1羽も飛んできません。きっと山にたくさん食料があったのでしょう。季節は「雨水」も過ぎ「啓蟄」を待つばかり。霞始靆(かすみはじめてたなびく) 草木萠動(そうもくめばえいずる) 蟄虫啓戸(すごもりむしとをひらく) と桜の咲くのを待つばかりになります。

昨年暮れに植木屋から山ほどもらった鹿児島紅梅の枝、全部大きな水瓶に生けて庭中に置いたところ、見事に花を咲かせました。玄関前にも軒先にも築山の上にも灯籠の脇にも深紅の花が開きました。本当は、蕾のうちに染めたらよいのですが…。きっと暖かい冬だったので梅の開花に幸いしたのでしょう。小さな白梅の盆栽も満開になりましたから。昨年の今頃は一輪咲いたと喜んでいました。
畑の方も同様で、大根も白菜もチンゲン菜もタカ菜もエンドウ豆もキャベツも大きく育っていて、食卓に青い葉は豊富に揃えられます。主婦にとってうれしい限りです。来年の冬はどうなるのか、わかりません。鶏と白菜を仲良く分けて食べていますが、保存する事を考えなければ困るかもしれません。大根の葉は漬けて干して、冷凍庫に入れましたし、豊作だったスイートスプリング(みかんと甘夏をかけあわせた新種) も一房ずつ冷凍しました。勿論、卵も入っています。鶏は3年目になるともう1週間に1個くらいしか産まなくなっていますから。食べる事ばかりしている毎日ですが、これも主婦の役目です。この頃少しずつ娘に食事の献立を明け渡しています。一品ずつですが、グラタンだったり、ピザだったり、魚の下ごしらえだったり。勿論まだまだ大きな鉄のフライパンに油を満たしてアジの唐揚げを作るような事は私の役目ですが、さすがにパン種を仕込むのは上手になりました。その時いつも神田精養軒の望月さんの話を思い出します。まだ小学生だった娘と一緒に工場を見学し、望月社長に「パンとはどういうものか」という話を聞き、クネッケを試食し、給食のパンを中心にお付き合いをしました。残念なことにもういらっしゃいませんが、娘の体にその気持ちはしっかり植え付けられていたのでしょう。全粒粉を使った絶品のパンです。こんなに二人で一日中食べる事をしていていいのだろうかと少々反省もしますが、「人間食べる事第一」なんて言いながら小さな畑で春の日を浴びています。

次の個展は来春の4月です。シャツは織り終わり仕立てにかかりました。何回も染料を作って染め直しましたが蘇木の赤は出ず、紫になってしまい、覚悟を決めてそのまま「紫いものシャツ」と命名しました。緯糸は10色添えてみましたら今迄のシャツとはちょっと雰囲気の異なる感じで、個展のメインになるでしょう。マネキンに着せる時、どんなパンツにするか帽子はどうするか、目下考慮中です。今度の個展はシャツを着せたマネキンに合わせて絵を置くつもりで、娘はすでに100号のキャンバスを張り、絵の具を解き用意万端整えました。150号のキャンバスには台所の絵が仕上がりつつあります。白菜もカボチャも、サバもヒラソもアップルパイもピザも、みんなで手分けして作っています。おかあさんと、こっちゃんと、勿論ねこちゃんと鶏たちです。庭にたくさん花を咲かせ、果実を生らせ野菜を収穫する、それを絵にし染料にしシャツを作る、そんな生活いかがでしょう。
昨今の児童虐待のことも、いじめのことも、東京青山に建設予定の施設反対のことも胸が痛みます。こんな小さな田舎町も周囲の田畑は潰されマンションがどんどん建っています。コンビニも多いし、医院も選り取り見取りで、介護施設も増えています。便利になりました。けれど隣の人と「こんにちは」との挨拶がなくなりました。どなたが住んでいるかわからないのです。これが地価が一番安いといわれる県庁所在地の発展というのでしょうか。

朝起きてどこも痛くないのが嬉しい毎日です。「若い時と違うのよ」と娘に言われ、納得しながら今日も織っています。
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2019年01月21日

年のはじめに

あけましておめでとうございます。ここ山口は暖かいお正月でした。季節は小寒から大寒へと移りもうすぐ立春です。東風解氷(はるかぜこおりをとく) 黄鶯睍v(うぐいすなく) 魚上氷(うおこおりをはいずる) と気分も浮き浮きする春ですが、その暦どおりになるとよいのですが、まだまだ油断は出来ないでしょう。

今年のお正月も例年通り暮れの26日から用意にかかりお重に詰めました。昆布巻きも伊達巻もきんとんも黒豆も変わりなく、根菜類の煮物も一品ずつ日本酒を煮切ってしいたけの煮汁と一番だしを使って上々の仕上げでした。お雑煮は丸餅ですが、大根とニンジンを椀の下に敷き、その上に餅、しいたけ、伊達巻、エビ、それに青菜をたすきにかけ、ギンナンを3個、ユズの松葉を飾り、一番だしをはった雑煮椀は見事でした。一昨年は青菜がなくて苦労しましたが…。この雑煮椀はもう何十回作ったでしょう。残念な事にカマボコが入ってません。よい品が手に入らないのです。作ってもあまり上手に作れないのです。そのうち上手になるでしょう。あと何回もお正月はあるのですから。しかしそろそろ娘にこの仕事を伝授しなければと思っています。こっちゃんカレンダーの12月のところには、「こっちゃんガンバレー」となっていますが…。

カレンダーといえば、昨年の末、本屋に置いたカレンダーが1部でも売れたら娘にあんパンを作ってもらうという賭けをしました。年明けて本屋に回収に行ったところ、9部売れてました。もうびっくりです。こんな小さな田舎町で、どんな年齢の人が買ったのでしょう。自然酵母を作り、発酵させ、小豆を煮て餡を作り、木村屋のに匹敵する大きなあんパンを作ってもらいました。各部屋にこのカレンダーを掛け、あんパンを食べながら、1年間の大変だった作業を顧み、お友達の消息に思いを馳せています。雪の降り積もっている東北の地から、火山灰の襲来に車のお掃除が大変だという南の地から、それぞれの年末でありお正月のようでした。カレンダーを眺めながらまだ逢ったことのない「こっちゃん」と「おかあさん」を想像し、花いっぱいの庭とねこちゃんと鶏を頭に描いて、お雑煮を食べたそうです。多くの人々に少しだけ夢を与えられたかしらと二人で話したところです。しかし消息の途絶えた人もいました。昨年までお元気だった方々ですけど…。ちょっとしょんぼりしました。

紫色のシャツ、順調に織り進んでいます。どうして蘇木(蘇芳) がこんな紫色になってしまったかは解明できていません。けれど、もう一度染めてもやはり紫色になってしまい、赤色は完全に落ちてしまいました。これで織って最後までいきます。来春の個展までに退色しなければと願うのみです。
「こっちゃんといとぐるま」の本を読んだ人からお便りをいただきますが、とても綿を染めて紡いで織ってシャツを作るところまで到達しないようです。私だって10時間紡いでも10pも織れない仕事はときどき音を上げたくなりますもの。どうしてこんな大変な事をするのか、と考えたら答えは出ません。生業になることもないし、社会に貢献しているわけでもないし…まあ30年も経ってしまうと、体の一部になってしまうのでしょう。先日近所の古本屋で「こっちゃんといとぐるま」の本を見付けました。新しい状態で、私がお送りした手紙と、御自分で切り抜いた本の紹介の新聞のコピーが折り込んでありました。きっとお年の方だったと推察いたしました。勿論絵本は連れて帰りました。もう13年も前にお渡ししたものです。

いろいろな事があって新年が始まりました。野良猫4匹、鶏5羽、みんな元気です。畑の野菜も例年になく勢いが良いのですが大根のトウが立ってしまい大童です。自然にまかせた畑は人の力ではどうにもならない時もあります。そんな時は人間の方が自然に寄り添って朝昼晩、大根おろしと、大根の葉の佃煮を食べることにします。
どうぞ、よいお年になりますよう。
今年もよろしく。
posted by ヨシミ at 16:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする