2024年02月24日

雑多なこと

暖かかったり寒かったり、というよりも暑かったりでしょうか。人間の身体はもしかしたら暦通りに出来ているのかも知れません。立春も過ぎ雨水も越し、啓蟄を待つばかりなのですが、もう90歳になろうとしている私の身体が右往左往。1日の仕事の半分が娘に移行してしまいました。「まあ、これでもいいか」と自分に納得させていますが…。口だけは達者です。桃始笑(ももはじめてさく)、草木萌動(そうもくもえうごく) とありますから、もう「すもも」も「あんず」も芽が膨らんでいます。実が沢山生ってくれるといいのですが。畑の大根も白菜もキャベツも豊作です。朝から晩まで白菜攻めの食卓です。まあ鶏が手伝ってくれるからいいやと思いながら。テレビで白菜の半分を手に取って、考え込んでいるお年寄りを見ながら畑を持っている幸せを感じています。たった一粒の小さな種からです。それにしても九州のある県に起こっているバブルというような状態、外国企業の進出の理由が、製品を作るための水が、非常に良いからだったとか。賃金は上がり、土地も高値で売れ、田畑は高層マンションに代わり、まだまだその企業は工場を増やす勢い。それが出来て恩恵を蒙る人々が沢山いても誰も文句は言えないし、羨むばかりかも知れない。けれど何か変な感じがするのは、それこそ老の戯言と一蹴されるのはよく承知しているのですが…。

なんと政治も経済も忙しいことか、ただただみんな目の色を変えて至上最高値だと、34年ぶりの更新だと新聞紙上を賑わし、裏金が何千万あるとか、「お金のことしか頭にないのか」と思ってしまうのだけれど…。議員になるのは「お金が沢山貰える」からではないのかとも勘ぐるのも当たり前みたいで…。確定申告に訪れた人が係の人に詰め寄るのもわかる気がするし…。下々の人の笑顔が戻るのを望みます。

さてこの私、先日来あちこちの医者を訪ねましたけど、検査の結果どこも悪くなく、ある内科の医者に「この検査表を額に入れて飾っておきなさい」と言われ、元気を出して個展の準備をすることにしました。4月5、6、7日で場所はいつものラセーヌです。桜は満開になるでしょう。今春は何か山口市が注目されているとか、住んでいる自分達にとっては、どうしてかわかりませんが…。桜の名所と一の坂川を散策して、こっちゃんの絵を見て、今までの集大成のような何十枚ものシャツを見てくだされば嬉しく思ってます。そして、こここには、スマホもケータイも持ってない、ひたすら親から仕立ててもらった布団から綿を取り出してシャツを作っている、恐ろしく情報過多とは縁遠い老人が生きているということ。そして何の不自由もなく草花と野菜と、木々に囲まれて満足しているということ。もう一人の相棒である娘も、スマホも持ってなく、ひたすら絵筆を握りピアノを奏でサックスの練習に余念がなく、私に珍しいケーキを焼き、猫と鶏と戯れている娘がいるということ。情報なんて新聞とテレビと書物でたくさん。その中から取捨選択して考えれば充分で、それ以上は必要ないような気がしています。まあ事態が変わったらスマホも必要になるでしょう。私が倒れてしまったら。

今年も無事に7回目の個展が終わり、次のシャツの染めにかかれますように。なにしろ庭の片隅には剪定した木々の枝が山と積まれ、私の出番を待っています。
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2024年01月24日

正月に

今年は寂しいお正月でした。喪中ですから。毎年の腕を振っての料理も、松飾りもありません。ただ、ただ、娘と2人、そっと新しい年を迎えました。けれど季節は移って、もう大寒を過ぎ、立春を待つばかり。水沢腹堅 (さわみずこおりつめる) 鶏始乳 (にわとりはじめてとやにつく) 東風解氷 (はるかぜこおりをとく) 黄鶯睍v(うぐいすなく) となります。それにしても今日の寒いこと、雪が降っています。この分だと積もるでしょう。買い物にも二の足を踏んでしまいます。しかし幸いな事に、今年は畑の野菜が豊作で、白菜も大根もブロッコリーも鶏に手伝って貰ってもどうしようもありません。猫はいらないと言ってますし。たった2羽になってしまった鶏が、すっかり毛が生え替わり、卵を産んで「こっちゃん、元気だしなよ」と励ましてくれてます。椿は盛りですし、紅梅も、白梅も、蝋梅までも蕾を膨らませています。春を待つばかりです。娘の部屋からは終日早春賦の音が聞こえてます。こんなに待ち遠しい春は、嘗てありませんでした。4月始めには7回目の個展です。なんだか山口市が注目されているようですが、一の坂の桜が丁度満開になることを祈るばかりです。

私の仕事部屋、次のシャツの紡ぐ仕事に入ってます。シャツの色合わせの設計図より、単純な紡ぐ仕事が一番大変でおもしろくない事は何十年経っても変わりません。テレビを映してもラジオをつけても耳を素通りし、ひたすら足と手を動かすだけ。指先がささくれたっても足が強ばっても腰が痛くなっても、この作業だけは免れません。「そんな大変なら、やめれば…」と娘は言います。けれど私からこのシャツ作りがなくなったら、どうやって残る人生を送ったらいいのでしょう。本当にもう指で数えられるだけの命なのです。美しい物を作る、そして自分も美しい物を着る、今日の雪の日には何を着ようかと考え、昔、新潟の古代紬の林宗平氏に会い、炬燵の中で植物染の温度管理の難しさに耳を傾け、塩沢では笹団子を食べながら職人の少なくなった実情を知り、もう能登上布も越後上布も「駄目かもしれない」と言っていた職人の話を聞き、日本の伝統文化はどうなるのだろうと余所者ながら杞憂している始末。まあこんな雪の日には、十日町のお召に、革のコートにしましょうか。勿論、半衿は、春を呼ぶため薄黄色。能登の漁港で沢山穫れたという寒ブリでも市場にあるといいのですが。

元日から大変な年になりました。ちょっと寝相が悪くても、腰が痛くて何も出来ないのに、避難所のお年寄りはどうしていられるでしょう。果物も、青い物も食べられなくて、トイレも我慢なんて。政治家のあの裏金の一端でも放出してくれたら…なんて思ってます。雪が小止みになり、又アルトサックスの早春賦が聞こえてきました。
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2023年12月26日

年の暮れに

とうとうクリスマスも過ぎ、お正月を待つばかりになってしまいました。この2、3日の寒いこと、何枚重ねて着ても、何種類もの暖房機を使っても、異常な寒さで、腰は痛くなるし、手足は思うように動かないし、やっぱり年齢には勝てません。娘曰く「動くのは口だけ」とか。「おかあさん、あと個展4回するのよ、約束でしょ」には少々自信がなくなりました。なんて言わないで、元気を出しましょう。

今年は、夫、一雄と10歳年下の妹を亡くし、お正月はありません。終戦直後の貧しい食卓に上がった黒豆、人数分だけの小さな数の子の切れ端、黒いお米のままのようなお餅、塩辛いおしる粉、みんな敗戦の年の事です。これらを経験してきた二人も、物言わぬまま逝ってしまいました。遠い田舎町まで買い出しにも行きました。さつまいもを10貫目買って帰るのです。勿論、着物と交換で。それも木綿物ばかりで。私の5人の兄弟のうち、90歳をとっくに過ぎた兄と二人になりました。まだ懸命に論文を執筆していますし、私も負けてはいられません。仕事場ではシャツ3枚仕上がりました。緑色を加えた10色の1p角の格子ですが、どうも「おもしろ味」がないシャツになりました。やはりどんな複雑な格子であっても、そこに正確さと几帳面さが最高ではなく、着た場合に新鮮さとか「あっ」と心に響く格子でなくてはならないのです。100枚織っても難しい事です。年が明けたら染めにかかりましょう。植木屋から紅梅の枝を沢山貰いましたから。

国会では「お金」の問題で大騒ぎです。庶民とは桁違い。こんな人達に国の舵取りをまかせていたのかと思うと、この国の行く末が思いやられます。どうしたらいいのでしょう。子供手当を増やしても、教育費の無償化を掲げても虚しさは否めません。辺野古の年内代執行の問題も首を傾げたくなります。戦争を知らない裕福な人達が決めた事ですから…。

今の世の中に文句ばかり言うのは止めて、感謝の念を持って来たる一年を過ごそうとは私だって思うのですが、巷にはあまりにも不合理な事が多すぎます。ただ一つ、救われるのは我が家の畑です。温暖化のため、白菜も大根もキャベツも大豊作です。ついでにブロッコリーも。柿もユズもスイートスプリングも鈴なりです。その上、娘が箱一杯の球根を注文して、花壇中に植えています。植えきれなくて、岩山の側にも灯籠の前にも、鶏小屋の正面にも、みんな春を待っています。

この暮れになって長年お付き合いした家の主人が施設に入り、無人になった家が取り壊されました。大きな「いぶき」もレモンも柿の木も、幹をメリメリといわせ折られてしまいました。娘と2人、眺めながらあまりにも可哀想で涙した年の暮れです。
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2023年11月25日

織り物

冬至も過ぎ、季節は小寒、大寒へと続きます。庭の柿の実も残り少なくなりました。けれど柚子だけはまだまだ穫り切れません。なにしろ50年位たった大木ですから。それでも娘が梯子をかけて、霜の降る頃までには終わるでしょう。畑も全部冬野菜になり、暖かかった所為か白菜も大根も上出来です。けれどキャベツの青虫捕りが朝の日課になりました。野良猫3匹、鶏2羽、元気で冬が迎えられます。もっとも先日母さん猫は病院で処置してもらい、耳に印をつけてもらって、地域猫として可愛がっています。一安心です。もう天井裏で子育てをしなくてよくなりました。

私の仕事場、緯糸を入れてもう半分以上織り終わりました。いつも経糸を10色以上も使ってしまうので、緯糸を考えるのが一苦労、結局、白を中心に8色の格子にしました。過去の何枚ものシャツを出してみると、単純な大きな格子を組んでいます。今のように1pにも満たない格子を織っていると、遠目には無地に見えます。この無地であって、無地ではない織を昔の織り職人は極上として、数々の今はもう出来ない希少価値のある布として珍重し、伝えられてきました。私の箪笥の中にも、何代も前かわからない「大島」が入っています。身丈も短く、袖も筒袖で、衿布も接いであり、男物か女物かわからない品です。先日、解いて洗って仕立て直しました。大切に先祖が着ていたものでしょう。糸が細く、水に何回もくぐったので着易さは抜群です。「ダンシャリ」という言葉が氾濫している今、この行為を何と説明するのか。自分にもわかりません。

自分の年齢の事を考えたら、何も出来ません。じっとしてこの世から消えて行くのを待つばかりなんて耐えられません。

来春の個展のために、娘は庭で写生をしながら絵を何枚も仕上げています。この度は小さな絵を数多く飾るらしく、その壁面に、私のシャツを添えるというのですが、上手に絵とシャツが組み合わせられるかちょっと心配です。もう7回目の個展ですが、準備には胃が痛みます。もっとも旧いお友達に逢える事はうれしいのですが…「あら、お元気なの」ならいいのですが「まだ生きていたの」にはびっくり。去年も会場でお腹を抱えて笑いました。

この度、新しいミシンを買いました。職業用の品でボタンホールも出来ます。これで、今、4台のミシンが動いています。「用途が異なるから…」と理由をつけて、新しい機械に挑戦です。これで絹もジャージも革も縫えます。娘はもうびっくり、「おかあさん、いくつなの」です。私の母は戦争前からミシンを使って、私達の洋服を仕立てていました。そのミシンを、疎開先から戦後、荷物にして送る時、新潟の伯父がお米を一緒に入れたら、駅で見つかり没収されてしまいました。その時の悲しかったこと。戦争とはそんなものなのです。小さい事ですけど。世界情勢には頭が痛みます。
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2023年10月27日

身辺雑事

長月、金木犀の香りがします。丸い灯籠の傍らからも、裏庭の鶏小屋の前からも。暑かった夏もやっと終わりを告げたようです。24節気では霜降、霜始降(しもはじめてふる) 霎時施(こさめときどきふる) 楓蔦黄(もみじつたきばむ)。まだ霜は降りてないようですが、そろそろどの木も紅葉し始めました。私も単衣から袷に衣替えです。日の出も遅くなり、6時28分、私がラジオ体操する頃やっと、東の窓が明るくなるこの頃です。花壇は花盛り。夏の暑さにすっかり弱ってしまったダリアが息を吹き返し、大輪の花をつけ、畑の中にも鎮座してしまい秋ナスもびっくり。毎日午後3時のおやつの後は外仕事。所詮、素人のこと、野菜も花も果物もそんなに見事には出来ません。でも口を潤し娘の絵筆の手本にはなります。そうしてつくづく「生きている」ってこんなにうれしいことかと思ってます。

私の仕事場、経糸720本、11mをかけ終わりました。12色の経縞に緯糸をどうやって組み込むか、これからの頭の使い所です。まあそうやって悩むのも生きている証拠。娘はシャツが出来る度に文句を言いながら着ていますけど…。春の個展までもう一種類作ります。

空き地のセイタカアワダチソウも全部住宅地になり、お隣のマリーゴールドの畑もなくなり、ポツンと柿の木だけが残りました。それでも我が家のハブ草の実がよく出来、莢がよい染料になります。庭木の剪定した枝も山程あり、ニッケの枝の香りのよいこと。生葉を煮て染料にしても良く、枯枝は燃やし、灰を使ってもよく… 戦争中、集団疎開で群馬県の伊香保に行った時、ニッケの枝がおやつでした。それを口に入れ囓りながら窓から外を眺め、東京の家に帰りたいと涙していた事を昨日の事のように思い出します。その頃の仲間達、みんなどうしているでしょう。娘に「伊香保の木暮旅館に行ってみようかしら」と言って誘ってみたら「そんなことに付き合っていられない」とにべもなく断られてしまいました。遠い昔の事です。100畳敷の大広間があり、その舞台で毎月演劇をやったり、硫黄の茶色に染まった温泉に毎日入ったり、結構楽しい日々でした。でも食料はすさまじいものでした。1年はいたでしょうか。そこの大広間で、面会に母と一緒に来たヨチヨチ歩きの妹が、私を見つけて飛んできたのを今でも覚えています。その9歳違いの妹も、先日帰らぬ人になりました。

戦争を知っている人間がだんだん少なくなっていきます。防衛費の増額と共に。憲法改正の機運も高まっています。憲法九条。私達が守り通してきた平和憲法です。もう一度、国民全体で考えてみましょう。世界中のあちこちで火花の音が聞こえる今こそ、こんな年寄りで、戦禍をくぐってきた人間が叫ばなければならないのです。黄色い声はもう無理でも。今年も因縁付きの布団綿でシャツを作ります。
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2023年09月26日

過ぎた夏に

やっと涼しくなりました。今年の夏の暑かったこと。彼岸入りを過ぎても、秋分を過ぎても、彼岸明けになっても30℃を越えていました。人間がぐったり伸びているだけではありません。花も野菜もです。小さな畑の夏野菜も駄目でした。昨年などはキュウリが穫れ過ぎて漬け物にして、冷凍して、今年の食卓に利用している位。娘の花畑も鉢に移し、木蔭に移動したり、日除けをかけたり、それでも暑さに強い虫にやられ、ダリヤが可哀想な姿になってしまいました。

スーパーでは野菜がびっくりするような高値です。少しでも秋野菜が安く出回るといいのですが…。私の住んでいる所は農家ばかりで、今頃は稲刈りの機械の音で賑やかでした。それが先日、見渡す限り不動産屋の手に渡り、私も境界線の署名をしました。農家の跡継ぎがいないのです。今日も留学生が日本の稲刈りの体験を太鼓に合わせてしていますが、これも最後でしょう。日本の食糧の自給率はどうなるのか、作業場の2階の窓から眺めている今日この頃です。

私の仕事、やっと織り終わり、シャツ3枚仕立てました。ピンクの格子で春の装いです。今度の個展は四季に分けて絵を展示するので、シャツもそれに合わせて壁に留めると娘からの指示かあり、大慌て。早速、明日から染めにかかります。この夏はシャツの布で半袖を作ってみました。3枚色違いで仕立てましたが、とても着心地が良いとか。その半袖に合わせて娘は柄物のパンツを作り悦に浸っています。でもなかなかミシンが言うことを聞かず、ベルトには四苦八苦していました。私はそれを眺めながら「それも修行だ〜」と言います。「人間は裸では生きられないのだ〜」とも言います。私も昔、母からそのように言われてミシンを踏まされた記憶があります。まだ若かった母であり、戦争を体験してきた母であったから、「生きる」という事には厳しかったのです。

その頃の戦後の生活は想像に絶するもので、今のアパレルメーカーの状態からは考えられない事でした。私が小学校卒業で総代として答辞を読んだ時、母のセルの着物から作ったセーラー服、靴は隣のお兄ちゃんの古くなったスパイク、それでも母にとったら「着せられた」と大喜びだったようで…。勿論、裕福な「成金」と称する家の子はそんなことはなかったようで…。その時から、「人間はもっと平等でなくてはならない」と思い、「政治家になって」と夢を抱いていました。でも「子供の教育が一番」だと思い直し、教師になり…、それからシャツを作っているのはどういうことでしょう。

私は時々、戦争中の事を子供達に話します。けれど、夫の一雄は話しませんでした。私よりもっともっと苦労してきたのですが話しませんでした。一雄の父親は軍人として早くから戦争に行き、強制疎開で麻布の家から岡崎に越し、そこで2回焼き出され、終戦後は麻布にバラックを建てて…。私には想像も出来ない戦後を過ごしてきたのです。大学の時も学生服ではなく古い背広で、いつもワイシャツはよれよれでした。でも本だけは、古い革鞄にはち切れるほど詰めていました。今、亡くなってみると、せめて自分の子供達だけにでも戦争の事を話しておいてもらいたかったと思います。大学の時、私に時の経つのも忘れ「複合動詞」の話をし、私を魅了した時と同じように。

私はもう少し生きます。娘にだけは人間が持っている最高の道具である「手の使い方」を教えきるまで。先日の「関一雄お別れの会」の時、勲章や数々の記念品を置いたテーブルの上に、シャツの布を掛けてもらったことは最高でした。

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2023年08月21日

お知らせなど

暑い日が続きます。皆様にはお変わりございませんか。しばらくお休みしましたが、私の夫、関一雄が6月19日に亡くなり葬儀は身内で済ませ、7月31日にお別れの会を東京で致しました。享年89歳でした。平均寿命からみても仕方のない事とは思いますが、本人にとっては、まだまだやり残した事があったのではないかと机上の論文を読み返しながら想像しています。

1960年まだ大学院生の頃結婚し、翌年、夜行列車で山口の地に赴任し、それから転々と居を移し、最後は「勤務地の大学が見える所がいい」と言い、大学の自分の研究室の窓の灯りが見える今の場所に移りました。田畑の中で、花も野菜も、池も灯籠もある緑に囲まれた場所だったのですが、やはり自分の生まれた東京という地が忘れられなかったのでしょうか、9年前に息子のいる東京に戻りました。学会に出る事も神田の古本屋の散策も楽しみだったのでしょう。私はこの地に残りました。どう考えても庭で染料を煮出すことも、染料にする梅もあんずも、ニッケの木もありませんし。大きな機も整経台も据えられないでしょう。

本当に皆様にはお世話になりました。多くの教え子、同級生の方々、地域の歌を愛し源氏物語の購読に加わってくださった方々、ありがとうございました。もう少し命があったなら、宇治十帖まで辿り着けたでしょうに。

この書面を通して御礼申し上げます。これからも残された私どものこと宜しくお願い致します。

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(写真は1961年に山口に赴任して最初に住んだ鋳銭司の家)
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2023年06月19日

お知らせ

諸事情により今月のブログはお休み致します。
来月また。
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2023年05月29日

仕事

毎日、朝起きて「今日は暑いのかしら、それとも寒いのかしら」と思いながらラジオ体操をして、お風呂に入って、朝ご飯を作ります。季節は小満も過ぎ芒種になり、麦秋至(むぎのときいたる) 螳螂生(かまきりしょうず) そして梅子黄(うめのみきなり) となり夏至を迎えます。裏の納屋のカマキリの巣からは、とっくに5o程の子供達がウジャウジャ。無事に外に出られたらいいのにと思うのですが、クモの巣に引っかかったり、水瓶に落ちたり、つまんで助けるのに大忙し。梅の実もそろそろです。昨年の今頃もウクライナの戦争の事を書きました。いつまで続くのでしょう。G7サミットの効果を見守るばかり。

仕事場ではやっと次のシャツの経糸の整経が終わり機に巻き取るばかりになりました。色数は8色、それが1pずつの繰り返しになり、90pの格子を構成するのですが、1本間違うと全部滅茶苦茶になりやり直し。何度やっても気を遣う労働です。シャツを織り始めた頃のは格子も大きく色数も少なく、1本位間違っても「まあまあ」と目を瞑っていましたが、さすがに20年も織っていると、デザインが複雑になってくるのは否めません。これに緯糸を紡いで入れていくのですが、まだ頭の中には浮かばないので、染めて紡いで試し織りをするしかありません。全く今の時代、時代錯誤とも言うのでしょう。同時に着尺の機に自分の半巾帯の経糸をかけ、タペストリーの機に個展の時、壁を飾る絹の糸をかけて来春までの仕事にします。

畑では夏野菜の植え付けが真っ最中、例年通りにトマトもナスもキュウリもと欲張ってはいるのですがなかなか言う事を聞きません。気候の所為もあるのでしょうが、育ちが悪いのもあるかと思うと、前年のレタスがまだ元気だったり、ソラ豆もピースも収穫中で、カボチャは勝手に芽を出して這い回るし、これでは到底農家とは言えません。昨日も隣の方から「ドクダミをどうするのですか」と聞かれてしまいました。なにしろ空き地全部、白い花を咲かせているのですから。これから大仕事。全部刈り取って、洗って干して、刻んで1年中のお茶にするのです。カモミールの花も咲き揃い、毎朝籠一杯で猫の手も借りたい程です。その上、花壇ときたら、何と表現しましょうか、昨日も植えきらない苗を、岩の間や灯籠の前、つくばいの縁にも植えて、まだ残って、畑のトマトもナスもピーマンも、花の苗に囲まれてしまいました。この苗、トレニア、F1カウアイピット苗と言い、360本位あったのです。野菜がびっくりです。「おまえら、そこで何してるんだ〜」と。小さい時、エプロンに、隣の家のポンポンダリヤの花を全部摘んでしまい母が平謝り。その母が亡くなった歳になってしまいましたけど…。ウクライナの地に、いつになったら麦の穂が風になびき野原に赤い花が咲き、子供達が花の首飾りを作る日が来るのでしょうか。
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2023年04月30日

読書

穀雨も過ぎて立夏を迎える頃になりました。霜止出苗(しもやみてなえいずる) 蛙始鳴(かわずはじめてなく) 竹笋生(たけのこしょうず) と旧暦を唱えながら田畑の仕事に勤しんでいましたが今年はどうでしょう。この山口の農村地帯も年々田畑がなくなり住宅地になっていきます。勿論蛙の声も聞こえなくなりました。朝市に出る竹筍も少なくなり、やっと2回買うことが出来、季節を味わうことが出来ました。唯一のデパートのある商店街にもマンションが乱立し、昔の面影が失せつつあります。時代の流れなのでしょう。その商店街の一隅で娘は「こっちゃん絵はがき2枚で100円」という店を出しました。勿論、2日間だけでしたけど…。60枚程売れましたが…。応援団の方が多くて東京から駆け付けた息子を中心にちょっとした同窓会の体でした。娘は「また来月になったら一人でやるんだ」と意気込んでいますが、もう私は手伝いません。来春の個展の用意で大忙しです。裁断始めた「セイタカアワダチソウ」の黄色いシャツの柄あわせが案外難しく四苦八苦の上、残った経糸に絹の胴裏を裂き織りにしてコートを作る予定がどうも気に入らなくて考え込んでいます。世間では「断捨離」と盛んに唱えていますが古くなって黄ばんだ裏地を裂くのには勇気が要ります。昔、母が縫ってくれた上代お召しも、大島も、銘仙もみんな裏地だけが弱ってしまいましたから。「仕方ないかしら」と思いながら裂いています。到底自分の生きてきた痕跡を全部消してあの世に行くなんていうことは出来ません。もう居直るしかありません。私の友人達も米寿を待たずに亡くなられた方が大勢いられますし、病院で伏せっていられる方もいます。どこも悪くなくて、10回の個展を目指していることは幸せなのでしょう。

加賀乙彦さんの「永遠の都」7巻と「雲の都」5巻を読み終わりました。私より5歳年上であり勿論住んでいた土地も家柄も家族構成も異なると、戦争の時代といっても受け止め方が違いがあるとはいうものの、やはりすごい時代だったのだと改めて思い直した所です。それに加えて1952年から2001年の戦後日本の描写は成る程と思うばかり。図書館から借りてきたこの12冊の本を読み切れるかと心配はしたものの、そこは新聞を毎日隅から隅まで読んでいる私にとって簡単なことでした。ちょっとだけ昼寝の時間が短くなっただけ。これを機に大江健三郎の初期の作品を読み直してみようと思っています。もしかして、この人の「善なるものの探求」という事がわかるかも知れません。私が88年間の歴史を書くとしたら、もっと悲惨な体験に焦点を当てることになるでしょう。病弱であっても子供を産まなくてはならなかった事実と共に。

今年も夏野菜の植え付けが始まりました。去年のキュウリはまだ冷凍庫にあり食卓を賑わしています。庭は花いっぱいです。
posted by ヨシミ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする